第10話 婚約者との家

白洛因は鼻を鳴らした。
「あんな美味い餃子食べたことねぇよ。」

顧海の深く下げられた目元は、近くの手元を見つめている。表情は動揺する事無く、いつも眺めていた顔がより大人びている。変わってしまったのは口元だけで、八年前は自慢げに弧を描いていた口元から若さは色あせ、淡い赤は権力を持つ男の口元へと成長していた。

顧海は八年前に味わっていたあの甘さを味わいたくて仕方なかった。

顧海の鼻から煙が広がり、周りが重くなったので、白洛因は顧海を急かすように反射的に頭を下げた。

「帰る。」

白洛因が足を上げると、顧海が彼の腕を掴み、口元に笑みをあふらせた。
「今日は俺が飯奢ってやるよ。」

「いらない。」

白洛因は今にも縋ってしまいたくなるほど暖かい顧海の手を押し退けた。
「もう仕事じゃないんだ。そんなのする必要ないだろ。」

「兄弟なんだからそれぐらいしたっていいだろ?」

白洛因はまだ首を縦に振らなかった。
「今日は……」

「俺と顔を合わせるのがそんなに嫌か?」
顧海は白洛因の拒否を遮った。

白洛因の顔が突然笑顔に変わり、冗談半分、本気半分で顧海に尋ねた。
「お前の事を婚約者が待ってるだろ?」

「だからなんだよ。」

顧海の目が細められると、白洛因の心は沈んだ。

「別にいいならいい。行くぞ。」



顧海の新しい家は西城区にあり、百平方メートル以上の土地だが、他の家に比べれば小さく、しかし一人暮らしには十分な広さだった。一番広いのはジムで、それ以外は寝室のみだった。顧海は自宅に白洛因を招き、案の定、顧海の部屋は白洛因の部屋よりも格段に綺麗だった。白洛因は無意識のうちにベッドに目を向けると、布団と枕のセットが二つあった。

「いつ結婚するんだ?」

白洛因が尋ねていくら待っても返事がなく、振り返ると、顧海の姿が無いことに気がついた。

作業室に戻ると、顧海のパソコンは二人が海辺で撮った写真を写している。白洛因は驚き、何かに捕まったかのようにその場から動けず、この時感じた気持ちは言葉には表せなかった。白洛因はマウスを手に取って壁紙を変えようとしたが、デスクトップもその写真であることが分かった。

白洛因はその場に立ち尽くし、壁紙を全て変な写真に変えておいた。

一方、顧海はキッチンで料理している。

白洛因はキッチンのドアに寄りかかり、タバコを咥えて忙しそうに動き回る顧海の姿を静かに眺めていた。

未だ冷たそうに見えるその外見の中には、誰よりも優しく繊細な心が隠されているのを白洛因は知っている。時々危ない時もあるが、時々簡単に諭されるその心を。嫌いな人には無関心かもしれないが、愛する人には一心に愛を注ぐことが出来る。そんな見た目もよく、権力もあり、愛することも惜しまない男が……数多の女性が完璧な王子様の夢を見ていることだろう。


こいつがい無くなったら、俺はひとりぼっちだ。


顧海は野菜を鍋に入れると、動きに伴ってガチャガチャと音が鳴った。

白洛因は突然口を開いた。
「お前は完璧だな。」

顧海は白洛因の方を向いて、揚げ物をしながら尋ねた。
「なんて言ったんだ?」

白洛因はゆっくりと煙を吐き出して、顧海に笑顔を向けた。
「この間来た女性社員が、私達の上司は穏やかで、才能があって美しく、正義を持っていて、感情的にもならず、責任感が強くて……って褒めてたよ。稼げて家事もできる男だと。」

顧海が故意に尋ねた。
「誘ってんのか?」

白洛因は何も言わず振り返って去った。



テーブルの上にはいくつかの料理と、顧海が自ら包んだ二種類の餃子が置かれていた。

白洛因は料理でいっぱいになっているテーブルを見て、複雑な気持ちになったが、顧海の言葉を聞いて一気に冷めた。

「同情して作ってやったんだ。沢山食えよ!」

白洛因の上っていた血は、この一言で冷たく凍った。

蒸し餃子を見て、白洛因はズッキーニと卵の餃子だと喜んだが、食べてみると茴香餡の餃子だと分かった。白洛因は少しがっかりしたが、それを表に出すことなく飲み込んだ。

顧海は別の皿から別の餃子を白洛因の前へ持っていき、白洛因がよく見てみると、ズッキーニと卵の餃子だと分かり目に喜びが溢れた。我慢できず食べると、中にはエビも入っていて、七、八年振りにこの餃子を食べた。

白洛因は食べ終わると、もうひとつ食べたくなって手を伸ばした。しかし、もう少しで届くという所で手が止まった。

これを取っちゃダメじゃないか!?

茴香餡の餃子は嫌いだが、ここでズッキーニと卵の餃子を取ったら、嫌いだったことがバレてしまう!

この野郎、食事中にも罠をかけやがって!

白洛因は思いついた。何がなんでもズッキーニと卵の餃子は食べたいが、茴香餡の餃子も食べなければならない。それなら挟んで食べればいい。茴香餡の餃子をズッキーニと卵の餃子に挟んで食べた。

正直、顧海は白洛因が最初に二種類の餃子を食べている時点で、どちらが好きなのかは明白だった。しかし今こうして白洛因が食べているのを見て、自分がやっていることが情けなく感じ、心が痛かった。特に、白洛因が無理やり餃子を口に詰め込んでいる姿が辛く、なんとも言えない気持ちになった。白洛因が食べるべきなのは、茴香餡の餃子ではなく、彼が好きなズッキーニと卵の餃子だ。

白洛因が茴香餡の餃子に箸を伸ばそうとすると、突然皿が奪われたのが分かった。

「もういい、そんなことするな。好きな方を食え!」

顧海は奪った皿から、茴香餡の餃子を全て食べてしまった。

こうして一緒に食べているだけで、多くの感情が混乱し、どうしようも無くなったので、白洛因はひたすらにテーブルの料理を食べた。しかし何を食べたのかは思い出せず、ただ、いつも通り美味しかったことだけを覚えていた。



夕食後、顧海が皿洗いをしていると、白洛因はリビングで彼を待っていた。顧海が皿洗いを終えてリビングに戻った時、白洛因はソファに寄りかかって眠ってしまっていた。

顧海は静かに白洛因の側まで歩き、彼を見つめて、突然まるで自分たちは八年前のままのような気がしていた。ここは八年前の家で、ただロールプレイングの為に不慣れな服を着ていて、ただ遊んでいるだけ。ただいつも一緒にいるだけ。

寮で眠っている時、白洛因はいつも警戒していた。しかしここにいると、部屋が暖かいからか、何故かは分からないが安心して深く眠れていたので、誰かに触れられても目を覚まさなかった。

顧海はしゃがみ、白洛因の手に優しく触れた。

その手はもはや記憶にある手ではなく、綺麗だった手は、所々傷があり、二本の指の爪は未だ捻れたままだ。しかし顧海は、白洛因が自分を助ける為に生じた怪我だとは知らなかった。

当然、顧海の額や背中の傷に比べれば、こんな傷はさ際なことだ。

しかし、顧海にとってはそんなささいな傷でも感情が揺さぶられるようだった。

突然電話が鳴り、深い眠りに落ちていた白洛因が目覚めた。

白洛因が目を開けると、顧海の顔が近くにあり、彼の目が一瞬凍ったが、すぐに顧海の顔から逃げて電話に出た。

「はい、はい。わかりました。直ぐに向かいます。」

顧海はそう遠くに居ない白洛因を見つめた。
「緊急事態か?」

白洛因は靴を履きながら振り返ることも無く答えた。
「あぁ、緊急事態だ。」

話しながら靴を履き終えて、白洛因は別れの挨拶も無く去って行った。去るまでは早く、僅か三十秒で白洛因の姿は夜の闇に消えた。前まで顧海が白洛因を起こしても、目を開いてから起き上がるまで少なくとも十分はかかっていた。しかし、今の白洛因は起き上がるのに十秒もかかっていない。
どんな訓練がこんなにも生活習慣を徹底的に変えたんだ?

八年で、誰がお前のことを変えたんだ?



白洛因が軍事病院に着いた時、刘冲は危険な状態だった。

「何があったんだ?」

白洛因が尋ねると、刘冲と共に訓練を受けていた兵士が赤い目で答えた。
「今日の午後、訓練をしている時に、彼の飛行機だけ状況がおかしく、飛び降りなければならなかったのですが、十分な高さがなく山の中の岩にぶつかったんです。幸い地元の方が見つけて下さり警察に電話してくれたんです。そうじゃなければこいつは今頃死んでましたよ……」

白洛因の顔は未だ深刻そうだ。
「状況は?」

「全身の至る所で骨折をしていて、顎も壊れています。幸いなことに脳は損傷を受けていません。しかし出血が酷く、体が弱っているので未だ昏睡状態です。隊長、中に入って見ますか?」

白洛因は軽く答えた。
「いや、いい。良くなったらまた会いに来る。」

そう言うと、白洛因は振り返って、重たい感情を抱えながら病院を後にした。誰にも言っていないが、白洛因は未だに血が怖かった。病院の廊下に立ち、緊急治療室の点滅する光を見ているだけで、体から冷や汗が流れた。

第9話 顧海の勝利

翌日、刘冲は昨夜あった人物が、資料の中で興味を持っていた人物だったと知った。

「え?あの人が顧海なんですか?厳しい道を自ら選び、若くして社長になったあの?」

白洛因は微笑んだ。
「あぁ、長官の息子だよ。」

刘冲は驚いた。
「顧威霆の?本当ですか!?そうであれば少佐などに留まらず、2年で中将になれるでしょう。そんな大きな後ろ盾があれば、彼が軍事産業に参加できるのも不思議じゃないですね!幸い昨日変なことも言ってないですし、復讐とかされませんよね?」

白洛因は笑って刘冲を見た。
「どうだろうな。」

刘冲は目を丸くした。
「本当ですか?そんな些細なことで恨むような人なんですか?」

「あいつは死ぬほど器が小さいからな。あの日レストランに行った時、実はドアを開けた時にあいつの事をちょっと殴ったんだ。それだけであいつは平手打ちしてきたからな。」

白洛因はまるでそれが本当かのように話すと、刘冲はそれを信じ込んだ。

「そう言えば、彼を2発殴ってしまったのですが、きっと覚えてますよね……分かってれば餃子を渡してたのに!!」

白洛因は額に手を当てる振りをして顔を隠した。
ー本当に信じる馬鹿がいるのか!!

「大丈夫だ、からかっただけだよ。あいつはそんな些細なこと気にしない。」

刘冲は胸を撫で下ろして、尋ねた。
「それで、昨夜はなんで彼が来たんですか?」

「プロジェクトに協力してくれると言ったから、それについて具体的な話を話し合ってたんだ。」

「そう言う事だったんですね。」
刘冲は頭を掻いた。
「彼と契約したんですか?」

「してない。」

刘冲は困惑した。
「どうしてしなかったんですか?彼の会社の条件はいいのに、同意してくれなかったんですか?彼を傷つけるのが怖いんですか?」

「俺はもうずっと前にあいつを傷つけてるよ……」

白洛因は刘冲が理解できないと分かっている言葉を残して、研究室から去った。



3日後、白洛因はプロジェクトの進捗状況を報告するため、所長の元へ向かった。

「これらが研究チームに選別された者のリストです。一部は既に契約書に署名されています。こちらは協力企業です。協力条件は交渉済みです。問題が無ければ署名をしてもらおうと考えています。」

所長は資料に目を通している間、眉がひそめられ続けていた。正直に言って、白洛因は緊張していた。一部協力企業は軍にとって危険性が高いものもあり、しかもこのような大規模プロジェクトを任せれたことは初めてだった為、不安だった。

所長は資料を全て読んだ後、予想に反して白洛因を賞賛した。

「悪くない。慎重に進められているし、資料も明確に整理されている。安牌ばかりを選ぶのではなく、時として一歩踏み出さ無ければならない。もはや私みたいに古い人間は若い方々の考えに追いつくことも出来ないよ。本当に何か悩んだ時には、せいぜいアドバイスぐらいなら出来るから古い人間も頼りなさい。」

白洛因は安心して微笑んだ。
「私達は今、暗闇の中を歩いているようなものです。所長がいらっしゃらなければ、歩くこともままなりません。」

「ハハハッ……しかし、海因会社が協力をしてくれたのはこれが初めてのようだね?」

白洛因の心が再び引き締まった。
「はい、しかし彼らは陸軍へ2度協力していますし、資金も抑えられるので選びました。」

「悪くない。」
所長は白洛因の肩を叩いた。
「ただこの会社についての君の考えが聞きたかっただけだよ。この会社と共に頑張りなさい。」

白洛因は嬉しそうに事務局を出て、主要企業に人を送り、今後について話し合うつもりだった。


しかし、午後に海因科学会社は同意しないとの連絡が届いた。

白洛因は強い打撃を受けた。

「どうしてだ?」

「こっちが出した条件が厳しすぎて、会社の利益を考えてないからと……」

白洛因の顔は暗くなった。

「こっちから条件を出したって?交渉に行った時にあっちから条件を出したんだろ!今更になって手を翻すのか!!」

協力せずに俺の面子を潰して、鼻も蹴るつもりなんだな!

白洛因は怒りながら所長に電話をかけたが繋がらなかった為、研究部部長を見つけ、説明すると直ぐに全員を集めた。

「今更こんなこと所長に言えねぇよ…」

「どうして?」

白洛因が深刻そうに尋ねると、部長はため息をついた。
「この話を聞いた所長は大層喜んでらっしゃる。他の会社なら良かったが、顧長官の息子の会社となれば、所長は長官にいい顔したがるだろうな。もし既に長官にこの話が通っていれば、どうなるかわかるだろ?」

白洛因が心の中で牙を剥いていると、部長が再度尋ねた。
「それにしても、どうしてこんな急に気が変わったんだ?」

「いや、もういい。」
白洛因は不機嫌そうだった。
「急に気が変わったのはあっちだ。値段を安く設定していたからもう資金はギリギリにしてある。それなのに突然値段を上げろと条件を変えるような会社と協力する必要があるか?」

部長は仕方なさそうに微笑んだ。
「商売も公務も同じだ。しかし、どっちが大切なのかは、わかってるだろ?今回は契約前だし条件を変えることもあっちの自由だ。交渉に誰かを送って、本当に協力する気が無いのが試してみたらどうだ?」

白洛因は唇を噛み締めて何も言わなかった。

部長は彼の肩を軽く叩いて言った。
「大きな問題でも小さな問題でも無いんだからそんなに気にするな。ダメだったら他の選択をするまでだ。そのために散々計画を練ってきたんだろ?」

この言葉を聞いて、白洛因は完全に顧海の罠にかかったんだと悟り、憎しみで歯を食いしばった。

顧海、お前のやることは残酷だな!
この8年間、俺を貶めるために無駄に生きてなかったみたいだな!



選択の余地もなく、翌日交渉に人を送ったが、昼前に帰って来て、ダメだったと白洛因に伝えた。中に入ることも許されず、担当者が来なければ交渉をしないと。


一晩中このことについて考えてから、白洛因は屈辱に耐え赴く事に決めた。


顧海の会社の1階ロビーに足を踏み入れた瞬間、香水の強い香りがする。白洛因は今すぐ出て行ってしまいたかったが、腹を括った。

まるで風俗嬢のような女性が白洛因の元へ詰め寄った。
「何がご要望ですか?」

白洛因は益々顧海の企業の正当性を疑った。


エレベーターで6階へ上がり、様々な部署を通ると、そこかしこからの女性の視線を無視して、白洛因はやっと会議室へとたどり着いた。彼がこの会社に入るのを許された初めての男だった。

「どうぞ、座ってください。」

荒々しい声で、背の高い女性が白洛因にお茶を出した。白洛因が驚いて彼女の事を見ると、太い足に毛が生えているのを見て白洛因の喉がキツく締まった。よく見てみると、骨格は太く、腕に筋肉がついており、輪郭は男そのものだった。

就職条件が厳しい割には、女装男性はいいのか?

美女は鋭く白洛因を見て、即座に彼が考えていることを理解した。

「私は女ですよ。」
美女はそう強く言ってドアの側へと去った。

白洛因にとってこれ程恥ずかしい経験はない。



顧海が入ってくると、真ん中の椅子に座っている白洛因に視線を向けた。シワひとつない軍服は強大で背の高い身体を包み込み、英雄的な顔は微かに殺意も含ませている。顧海がドアを開けて椅子に座るまで、鋭い視線か刺さり、唇は真っ直ぐと一本に引かれていて、交渉に来たのではなく、まるで宣戦布告の様だった。

美女は顧海に近寄って何かを囁くと、顧海は頷き、美女が出て行った。

広い会議室に、顧海と白洛因の2人だけが残された。

「あの子は女じゃなくてニューハーフだ。」

顧海は声を抑えてそう言うと、白洛因は顧海が期待した通りの表情を見せてくれた。

「お前の趣味も変わったんだな。」

「お前が来る前にどうやってお前をもてなそうか考えてたんだ。美女を寄越したって、軍に長く居たお前には刺激が強すぎるだろ?だからまず前菜を用意して徐々に慣らしてやったほうがいいと思ってな。」

白洛因の目は暗く光り、口角が無理やり上がった。

「お気遣いありがとうございます!」

顧海は楽しそうに微笑んだ。
「それで、今日はどうした?」

白洛因は仕事で来ていたことを思い出し、姿勢を正した。
「プロジェクト協力について。」

顧海はタバコに火をつけて、静かに煙を吐き出した。

その後、2人はプロジェクトについて話し合った。今回は顧海が物事を難しくした為、白洛因が協力をする事によって生じる利点を辛抱強く説明した。

「すぐに始めなければならないプロジェクトなので、もしまだご理解頂けないようであれば、他の企業に頼むことも可能です。」

顧海は頷いた。
「分かってます。」

白洛因は内心殴られた様に感じていた。
分かってるのに断ったのか?
そう考えていると、白洛因のペースは崩され、強く顧海に訴えた。
「以上の事に考慮して、よくお考え下さい。」

「考えるべきなのはそちらでは?」
顧海は腕を広げた。
「協力をしないと言った訳ではありません。そちらが価格をあげることに同意して頂ければ、すぐにでも契約書に署名しますよ。」

白洛因は表情を強ばらせた。
「この価格で同意して頂けないのであればそれまでです。」

顧海は白洛因をじっと見つめた。
優しく話してちゃ分からないのか?

白洛因は激しく立ち上がった。
ーもういい、こんな奴の顔を見に来たわけじゃないんだ!

"どっちが大切なのかは、分かってるだろ?"

白洛因の頭の中で、突然部長の言葉が光った。

足の向きを変えて、突然、驚くほどの寛大さで顧海の前に立った。

「分かりました。価格を上げることに同意しますので、契約書に署名を!」

顧海の口角が、僅かに上がった。
「いや、気が変わった。やっぱり協力しません。」

白洛因の顔は暗くなり、突然顧海のネクタイを掴んだ。

「顧海、何がしたいんだ?」

「最初から俺の条件は変わってねぇよ。」
顧海の腕が白洛因の首を掴んだ。
「まだ分からないのか?」

白洛因は肘で顧海の下腹部を殴り、怒鳴り声をあげた。
「顧海、そんなに俺の面子を潰したいのか!なんでお前なんかと仕事しなきゃいけないんだ……価格はそのままだ。署名する気があるなら連絡を寄越せ。する気もないのに連絡して来たら殺すからな!!」

久々の白洛因の怒鳴り声が、顧海の口元にまで届いた。

「そんなに急ぐなよ、まだ長時間交渉をした訳でもないだろ?」
顧海は楽しげに白洛因の頭を撫でて、危険な社長からただのおしゃべりなお兄さんへと成り下がった。

白洛因は心の中で牙を剥いた。
ー国家の為、国民の為だ。我慢しろ!!

顧海はタバコを手に取って、白洛因の顔に煙を吐き出した。そして冷たさの残る声で言う。

「あの餃子は美味しかったか?」

第8話 寮へ

白洛因の暗い目は、顧海の心を抉るアイスナイフの様だった。

「俺をここに呼んでおいて、最後に言うのはそれか?」

顧海は微笑みながら白洛因を見た。
「俺のことは誰よりも理解してるだろ?」

「お前、玉ねぎみたいだな。」

顧海は目を細めた。
「どうして?」

「自分のことを隠すだろ。他人はお前の皮を剥いで秘密を見たくて仕方ないのに、いざ暴いてみればつまらない割に涙が流れるんだ。」

顧海は怒ることなく笑った。
「変に気を使われる方がそっちの方がマシだな。」

白洛因は深呼吸した。
「顧社長、ご飯を奢らせて頂けますか!」

「白隊長、やめてくださいそんな……」

白洛因は他人かのように礼儀正しい。
「ここまで協力するために誠意を見せてくださっていたのに、私たちはそれを拒否しました。大変申し訳なく思います。ここのお食事代は出させていただきますので、今までのご無礼を忘れていただきたい。」

ーよし!
この一言は顧海と協力することを意味していた。

顧海は表情を変えず、笑顔のまま、白洛因の肩に手を置いた。

「こんな些細なことは気にもとめませんよ。」

白洛因は肩に置かれている顧海の手が、まるで鉛でも乗っているかの様に感じていたので、真っ直ぐ立つことが難しかった。



レストランに着くと、ウェイターがメニューを持ってきたので、白洛因は見ずにそのまま顧海に渡した。

「どうぞ、何でも頼んでください。」

顧海は気取って言った。
「それでは家庭料理を頼みましょう!」

「そんな!」
白洛因は寛大な振りを続けている。
「家庭料理ならここに来なくとも食べられます。それにあなたの方が家庭料理であればお上手なんですから、いつもは食べられないものを注文してください。」

「本当ですか?」

そう言うと、顧海は一気に数十皿の高い料理を2人前ずつ注文すると、まるで後悔している振りを見せた。
「あっ、昔と同じ食欲があると思って全部2人前頼んじゃいました。ウェイターに重複してるものは省く様に伝えますか?」

白洛因は笑顔を作って"大丈夫ですよ"と伝えた。
ー呪ってやる。顧海、お前絶対わざとやっただろ!!



料理が並ぶと、顧海は箸を取ったが、突然手が止まった。

「白隊長、この会食が終わった途端、気が変わるなんてありませんよね?私共と働きたいから、こうしてもてなしてくれてるんですよね?」

「そんなこと絶対有り得ません!!」
白洛因は悔しそうに顧海を見た。
「ほらほら、どんどん食べてください!」


食べ終わると、白洛因はレジに向かった。

「お会計は4512元(約7万円)です。カードと現金、どちらでお支払いですか?」

顧海は隣でまるで気遣う演技をした。
「足りますか?私も払いましょうか?」

白洛因は堂々とカードを出したが、この食事は大きな痛手だった。



レストランを出ると、白洛因は振り返って顧海を見た。
「俺は軍に帰るから、お前も帰れ。奥さんも心配するだろ。」

顧海の心は浮いた様だった。
「そっちに行っちゃダメか?」

白洛因は顔を向けて、顧海を疑うように見た。

「寮に来たって面白いもんなんて何も無いぞ。」

顧海の笑顔が益々おかしく歪んだ。
「長年お前が隠れていた場所を見てみたいんだ!」

白洛因は何も言わず、車に乗った。



顧海は軍に着くまでずっと白洛因の後ろをついて行き、個人寮へと入った。一般的な3部屋は、男にしては綺麗にされていた。しかし、軍に出入りする機会の少ない顧海にとっては、見苦しい部屋だった。

「副司令官なのになんでこんなに部屋が汚いんだ。片付けてくれる部下ならいるだろ?」
顧海は部屋を見回して、不機嫌そうに言った。

「あんまり部屋に人を入れたくないんだ。」

顧海が冷蔵庫を開けてみると、中身は殆ど空で、数本の飲料と、腐った豆腐しか無かった。顧海は腐った豆腐が入った鍋を開けると、悪臭がした。

「お前これいつ食ったんだ?こんな臭い豆腐も食うのか!」

「臭い豆腐じゃなくて、味噌豆腐だ。」

白洛因はそう言って顧海の手からそれを奪うと、カビが生えていた。

「冷蔵庫に入れたまま食べ忘れてた。」

白洛因はゴミ箱にそれを捨てて、不機嫌に言った。
「本当に何しに来たんだよ。」

「なぁ、白隊長。なんで下着がこんな所に投げられてるんだ?」

白洛因が振り返ると、顧海が下着を馬鹿にした顔でぶら下げているのを見た。白洛因は穏やかな表情で下着を奪うと、嫌悪感を顕にした。
「触るな!」

「前まで貧しかったんだろ?下着を洗わないことぐらい気にしてどうするんだ?」

顧海がそう言い終わると、部屋は沈黙に包まれた。2人は喧嘩を回避しようとしたので、誰も話を続けようとしなかった。

白洛因は放り投げられていた靴下や下着、シャツなどの汚れた服を洗濯機に入れた。しばらくの間、洗濯機が回る音だけが部屋に鳴り響いた。

顧海は白洛因のキッチンを見ていると、インスタント麺の袋と、食べかけのご飯を見つけた。テーブルには未開封のビスケットの袋が2つあり、隣には八宝菜の弁当が……

顧海は文句を言いたくて仕方なかった。

白洛因、こんなものを食ってるのか?
マフラーだって編めたのに、料理をする気は無いのか?
毛布を乾かすことも出来ないのか?
8年間も1人で生きてきて、自分の世話をろくに出来ない無駄な時間を過ごしていたのか?
お前よりも人生を無駄にした人間は見たことねぇよ!!

白洛因が寝室に戻ると、顧海が枕を触っているのを見た。

「それに触るな!!」

警告無しの怒鳴り声に、顧海は枕カバーを外す暇もなく、白洛因に寝室から押し出されてしまった。

「どうしたんだ?」
顧海は冷たく鼻を鳴らした。
「枕カバーが汚れてたから洗濯しようとしただけだろ。こんなので寝てて気分が悪くならないのか?」

「俺はこれが好きなんだ!!」

顧海は部屋を一周して、痛みなんて感じてないように白洛因の前に立って静かに話した。
「正直言って、今のお前を見て失望したよ!!」

白洛因は涼しい顔をしている。
「それなら帰ればいいだろ。」

「嫌だ、帰らない。」

そう言うと、また部屋の中を彷徨い始めた。

白洛因はわざわざ話す気にもならず、バスルームに行って靴を磨いていた。

顧海がドアに忍び寄ると、ちょうどドアをノックする音が聞こえた。
もう9時50分だと言うのに来客がいるなんて、とんだ生活をしてるんだな!

「隊……」

顧海を見ると、刘冲は"長"を飲み込んだ。

「隊長はどこですか?」
刘冲が顧海を睨みつけた。

「そうだな、どこだろうな!」

「お前……!」
刘冲は怒鳴った。
「俺たちの隊長に何をした!?」

「お前が言った通りだとすれば、俺は一体隊長に何をしたんだ?教えてくれよ。あいつは俺に何をした?」

白洛因は声を聞いて急いで出てくると、ドアに立つ刘冲を見てしばらく固まった。
「こんな時間にどうしたんだ?」

刘冲は白洛因が安全だと分かると、自信を持って中に入り、持ってきた袋を机の上に置いた。
「隊長、どうせろくに食べてないんでしょう。だから餃子を持ってきました。まだ熱いので、熱いうちに食べてください。」

「仕事は終わってるのか?」

白洛因が尋ねると、刘冲は急いで説明をした。

「はい!終わってそのまま来ました。もしかして、もう食べてしまいましたか……?」

「こいつはもう食べたよ。」
顧海が突然の口を挟んだ。
「俺とな!」

当然、刘冲は敵の思い通りに動くほど愚かではなく、顧海を無視して白洛因に話し続けた。
「隊長、まず靴を置いてください。私が磨いておきますから。冷める前に餃子を食べてください。茴香餡の餃子ですよ!」

「お前の隊長様は茴香餡は嫌いなんだよ。こいつが好きなのはズッキーニと卵の餃子だ。」
顧海は堂々と、勝ち誇ったかのように言った。

「誰が嫌いだって?」
白洛因は手を拭いて歩いてきた。
「俺の好みはもう変わったんだよ。」

そう言うと刘冲の手から袋を取って、箸を使って餃子を口に運び、飲み込むと微笑んで刘冲を見た。
「美味しいよ。」

顧海は8年間で変わっていないことを期待していたが、この光景を見てその袋を床に捨ててしまいたかった。


しかし本当は、なにも変わっていなかった。

「ゆっくり食べててください。俺は行きますね。」

出ていく前に、顧海のいたドアを睨みつけてから刘冲は去った。

白洛因は口に含んでいる餃子を吐き出したくて堪らなかった。実際、好みは変わっておらず、茴香餡の餃子は嫌いなままで、本当に好きなのはズッキーニと卵の餃子のままだった。

顧海が触れた枕カバーの中には、顧海の制服ジャージが入っていた。8年前、白洛因が家を離れた時、色褪せたジャージ以外なにも持っていなかった。毎日その枕に頭を預けていると、まるで顧海の胸元に横たわっているような気がして、彼の鼓動が自分を眠らせてくれている気がしていたのだ。

第7話 協力を求める

刘冲は厚い資料の束を持って研究室に入り、白洛因と数人のエンジニアが、1枚の図面を前に討論している姿を見た。声をかけるのも申し訳なく感じて、白洛因の傍に立って待っていた。

目の前にはパンが1枚、冷たいお茶が1杯あり、茶葉は水に浮いていた。まるでそれに誰も気づいていないようだ。

「どう思う?」
白洛因の声が突然聞こえてきた。

刘冲は驚いて白洛因を見ると、ぎこちなく微笑んだ。

「何度声をかけても無視したじゃないですか。」

白洛因は刘冲から資料の束を受け取って尋ねた。
「これが主な軍事産業企業の資料か?」

「全てではありませんが、今まで協力してくれた企業と、まだ協力したことはないが条件の合う企業をまとめてあります。」

白洛因は頷くと、軽く言った。
「民間企業に協力してもらいたいと思ってる。」

「いいと思います。現在の軍事科学研究プロジェクトの主要になっているのは民間軍事産業企業です。特に部品や武器は開発の為に企業に転送することも出来ます。そうすれば多くの才能と資本を吸収することも出来ますし、研究経費を節約し、リスクを減らせます。しかし民間企業には制限があり、管理システムがしっかりしていなかったり、資金が充実していなかったり、セキュリティと機密性は国営企業程優れていません。」

白洛因は刘冲の意見を聞きながら、手元の資料を見ていたので、時々頷くだけだった。

「このプロジェクトは3つの研究チームに分かれている。だから1つの協力企業だけでは足りないし、より慎重に選ばなければならない。資料を見たが、大体は以前の研究での協力企業だな。経験は豊富だし、品質は保証されている。しかし高コストになるし、深刻な遅れが生じたケースもあるな。」

刘冲は白洛因の意見に同意した。
国営企業の人達と関わるのは好きじゃないんです。」

白洛因の手が止まり、ある企業のページが開かれた。

「北京海因高化学株式会社……」

白洛因がそう呟くと、刘冲が説明をした。
「この会社は開設されたばかりですが、ここ二年で非常に急速に発展しています。何度か陸軍へ協力していたようですし、この会社に興味があるなら、軍対応の研究者と連絡を取って協力資料を渡して貰いましょうか?」

白洛因はこの会社に焦点を当てた。調べてみると、最初は小さな会社だったようだが、5年未満で急速に発展し、大規模な会社へと成長していた。
しかも軍事協力企業へと名前が上がるなんて、簡単なことでは無い!

「この会社についての資料はこれだけか?」
白洛因が尋ねると、刘冲は頭を掻いた。
「この会社は秘密が多いらしく、それだけです。しかも管理システムが業界で大きく批判されてるらしいんです。この会社の経営陣は独自の方法でして、しかしその批判も会社へ大きな利益をもたらした様です。恐らく一種の広報方法なんでしょうね。」

白洛因はこの会社について興味があった。
「どんな管理システムなんだ?」

「社長のみが男性で、それ以外の幹部も、社員も全て女性なんです。」

刘冲の言葉を聞いて、白洛因は額に汗をかいた。
もしかして、顧海の会社か?

2ページ戻り、法人名を見ると、"顧海"と大きな2文字が記入されていた。

「女性のみで無ければ、彼らのビジネスは急速に拡大していたでしょう。しかし私はこの社長は凄いと思います。大胆で勇敢で、人とは違う道を選ぶだなんて、私には出来ません。」

白洛因の口角がニヤリと上がった。
「昔から変わってないんだな……」

「え?」

刘冲が困惑していると、白洛因はハッキリと言った。

「何でもない、仕事を再開しよう。」

「そうだ!」
刘冲は何かを思い出した様だった。
「隊長、忙しいのは分かりますが、食事はしっかり取ってください。」

「わかってるよ。」

刘冲が去った後、白洛因は再び資料に目を向けた。

「北京海因高化学株式会社……海因……」



年次総会にて空軍兵を誘った小陶は昇格した。チームリーダーから部長への突然の昇格には別の理由があり、その理由は社長から語られた。

「この理由じゃあ納得させられないわよ?」

反抗的な意見を出す闫雅静を顧海はちらりと見た。
「じゃあ納得させられる理由を考えろ。」

闫雅静は怒りを鎮めるために深呼吸をしたが、その顔にはまだ不満が残っていた。

「じゃあ彼女のお尻が大きいからって言えばいいのね?」

顧海はライターを取り、手で遊ぶと、その顔も楽しそうに笑っていた。

「何言ってんだよ。この会社で一番尻がデカイのはお前だろ。」

「あなた……!!」

闫雅静は恥ずかしく、言葉が出てこなかった。

「ほら、小陶を連れてこい。」

闫雅静は顧海を睨みつけながら去っていった。

小陶が社長から社長室に来るように言われたのはこれが初めてだった。大きな尻はくねくねと動き、真面目に働いている女性社員の誰もが羨ましそうに彼女を見るので、小陶の虚栄心は大満足だった。

「顧社長……」

顧海は瞼を上げて、笑顔を作った。

「座りなさい。」

小陶は恥ずかしそうに席についた。

「君に仕事を任せたい。」
顧海が小陶に目を向けると、彼女は目を細めて微笑んだ。
「顧社長、仰ってください。」

顧海は小陶のその露出されたセクシーな服装には動じず、厳粛に言った。
「近いうちに空軍研究所とのプロジェクトに協力する予定なんだ。この人が担当者だ。君の仕事はこの担当者を説得し、協力に同意をしてもらうことだ。」

「どうして私なんですか?」
小陶は謙虚にそう尋ねた。
「お受けしたいのですが、ご存知ですよね?私が男性との取引が苦手だと……」

「一度成功したじゃないか。だから二度目も成功すると信じてるよ。」

小陶は驚いた。
「一度成功したって?」

顧海は頷いて、白洛因の資料と写真を小陶に見せた。
「知ってるだろ?この人が担当者だ。」

「あっあの時の将校様!!」
小陶は小さな目を目一杯広げて、笑顔を見せた。
「全力で取り組ませていただきます。」

顧海は頷いた。

小陶は内心まだ戸惑っていたので、暫定的に話した。
「社長、質問をしてもいいですか?」

「どうぞ。」

「真っ赤な花柄の服と緑色のズボンが好きって、本当なんですか?」

複雑そうな表情をした後、顧海が口を開いた。
「本当だと思うか?」

小陶は頷けなかった。

「君に任せた仕事が終われば、また話そう。」



2日後、小陶は苦しそうな顔でまた社長室へ来た。

「社長、期待をしていただいたのに、ご期待に添えず申し訳ありません。様々な方法で説得を試みたのですが、どうにも彼は頷いてくれないんです。」

顧海は顔に失望を映さず、尋ねた。
「どうやって説得したんだ?」

「まず私たちの会社についての説明を行いました。会社の利点を強調しつつ、誠意を示し、過去に制作したサンプルをお見せし、1つずつ説明もしました。しかも……会社の為に自分のプライドをも捨てたんです。でも彼は木の様に動かず……私は……」
小陶が言いたい苦情が沢山あり、言葉が詰まった。

「なぜ頷かなかったんだ?」

顧海は軽く尋ねたが、小陶は話すのが難しかった。

「彼は……私たちの会社は優れていると言ってくださいましたが、信頼できないと。また、社長についてライフスタイルが疑問だと。他にも……女性のみを雇う会社とは共に働けないと。」

顧海の顔がこれほど楽しそうに歪むのを見るのは、小陶にとって初めてだった。自分は何か間違った事を言ってしまったのかとパニックになっていた。

顧海は何も言わず、真っ直ぐと社長室の外へと歩いて行った。



「隊長、呼んでいる方が。」

白洛因が研究室から出ると、顧海の車が外に停車され、彼がドアに寄りかかっているのを見つけると、まるで古い友人かのように白洛因を手招きした。2日前に殴りあっていたのも、全てが嘘かのように。

白洛因の意思に従わず、足が勝手に歩き出した。

「話せるような場所はあるか?」

顧海が尋ねると白洛因は頷いた。

「あぁ、運転してく。」



20分後、2人は静かなカフェでお茶を飲んでいた。

長い沈黙の後、先に話し出したのは顧海だった。
「部下に聞いたが、俺のライフスタイルが信じられなくて協力を拒否してるらしいな。」

「あぁ。」
白洛因が話し出した。
「俺たちの研究プロジェクトは機密なんだ。会社の機密性への強さの要求に加えて、社長も信頼に置ける人物でなければいけない。美女だけをかき集めるような社長は信頼に値しないから簡単には協力できない。」

顧海は不思議そうに微笑んだ。
「わかった。じゃあ今日俺がどれほど信頼に値するか証明してやるよ。」



それから2時間、2人は途切れることなく仕事の話をした。白洛因は顧海が証明することを待っていたが、太陽が沈んでも顧海がそれについて話すことはなかった。

「顧社長!」
白洛因は耐えきれずに顧海の話を遮った。
「早く本題に入ってくれますか?時間が無いんです。」

「本題って?」

「どれほど自分が信頼に値するのか証明するんじゃないのか?」

「もう証明しただろ!」

顧海は手を広げてそう言ったが、白洛因の目が徐々に暗くなった。

「どこがどう証明したんだ?」

顧海は愉快そうに微笑んだ。
「友人と共に3時間共に居て、お前を不快に思わせるような行動は一度も取らなかったじゃないか。俺がどれほど信頼に値するか証明するのに十分だろ?」

第6話 奇妙な世界

「俺が畜生だって?だったらお前はなんだ?家畜か?」
顧洋の氷のように冷たい視線が顧海を刺した。
「俺は悪いことをしたが、そしたらお前はいいことをしたのか?俺はお前の兄を傷つけたが、お前は自分の父親を傷つけただろ!お前が入院してた時、誰が一日中看病してたと思ってるんだ?感謝しようとしたことが一度でもあったか?それに……」

「話を逸らすな!」
顧海が顧洋の話を遮った。
「俺が聞いてるのは、事故の後に何が起こったのかだ。」

「事故にあってお前は記憶喪失にでもなったか?お前が意識を取り戻した時、目の前で何が起こっていたのか忘れたのか?お前の目に映ったもの以外、何を教えればいいんだ?」

「意識が戻る前の事を教えろ。」

「お前の意識が戻る前?そんなの教えて何になるんだ?病院に連れて行って、その後お前の命が助かった。それだけだ。」

「馬鹿にするのもいい加減にしろよ。」
顧海の我慢の限界が訪れた。
「お前が知ってるのは分かってるんだ。意識を失ってる間、白洛因はお前になんて言ったんだ?もう一度言う。あいつはお前になにを言ったんだ?ちゃんと教えろ。」

「なにを教える必要がある?」
顧洋は顧海を見つめた。
「8年前、お前の目で見たことがお前の中での真実だ。聞いて何になるんだ?」

「どうするつもりもない、ただ聞きたいだけだ!ただ知りたいだけだ!!」

「そうか、じゃあ教えてやる。よく聞け。」
顧海に近づいて顧洋は真実を話し出した。
「お前が事故にあった時は渋滞していて、白洛因はお前を背負って救急車まで連れて行ったんだ。俺が病院に着いた時、白洛因は病室の前にいた。医者がもう大丈夫だと伝えたら、あいつは去った。目が覚めたら俺は死んだと伝えろと言ってな。」

「そんな訳ない!」
顧海はこの真実を受け止めることが出来ない。
「お前があいつに無理やり言わせたんだろ!」

「お前が信じないだろうと思ってあいつは海外に行ったとお前に伝えたんだ。お前が一日中まるで死んでるみたいに生きてるのを見て、希望を与える為にそう言ったんだ。その後白洛因の親戚や友人に話を通して、辻褄を合わせて貰った。」

顧海は信じてはいなかったが、8年間も騙されていたのを知った。毎日地獄の様な日々を過ごし、結局はこうして他人に左右される。

「父さんは知ってるのか?」

「あの人が知ってると思うか?」
顧洋は冷笑した。
「白洛因が入隊を決めた時、あの人と約束をしたんだ。お前の人生に関与しないと。」

顧海はやっと理解した。何故8年間、顧威霆が自分を自由にさせていたのか。それは海外に白洛因を探させに行っても所詮は見つからないからだ。結局はあいつだって虐待の手助けをしていたんだ。むしろ息子が嘘に苦しむのを見て笑い、真実を告げられて苦しむのを見て笑っているのが好きなんだろう。

「小海。」
顧洋のトーンが和らいだ。
「人生は決められているんだ。お前に干渉しなくたって、遠くへ逃げたって、お前らが一緒に居る事は叶わない。短期間苦しむか、間違った道を選ぶか、どっちの方がマシか考えてみろ。」

「お前の罪を正当化するために俺のせいにするな。間違った道を選ぶのだって、苦しむのだって、それが俺の選んだ道だ!」

「誰がお前の選択を妨害した?」
顧洋は立ち上がって顧海の近くに寄り、睨みつけた。
「俺はただ真実を伝えただけだ。いつどうやって妨害した?お前の父さんだって邪魔したか?白洛因のことだって、お前が選んだんだ!お前があいつの事をよく理解してたなら、なんであいつを見つけられなかったんだ!なんで俺たちの言葉を鵜呑みしたんだ!それでも、俺がお前の人生の邪魔をしたって言うのか?」

顧海は壊れたように笑った。
「入院してた時、俺は1年で2度も障害者だと言われたんだ。お前以外、誰の言葉を信じろって言うんだ!?」

「お前が無能なせいだろ!」

「目を覚ませ!なんで1人だったのか、何故自分が無能なのか考えたことがあるか?なんで世界中は誰もと手を組んでるのにお前だけが孤立しているのか考えてみろ。お前は全く信用ならないし、信用する価値もない。だから誰もお前に真実を伝えなかったんだ!」

「俺は無能なんかじゃない!能力は成長と共に出来るんだ、生まれながらに持ってるものじゃない!」
顧海は目を赤くして顧洋を睨みつけた。
「お前は自分が強いと思ってるみたいだが、事故にあった時、なんで俺のスマホだけ使えたんだ?お前はお前自身で人生を選んだってそれでも言うのか?汚職をしたのだって正しい選択なのかよ!?」

顧洋は顧海の首を掴んだ。

「だからどうした。いつまでも優しくしてもらえると思うなよ!?」

顧海が反論する前に、ボディガードに掴まれてしまった。

「手を出すな!」
顧洋は顧海よりも先にボディガードに叫んだ。

雰囲気は最悪で、2人が黙っていると、しばらくして顧海が静かに言った。
「顧洋、俺はいつも思ってることがある。優しさは人間の基本だ。お前に優しさがあれば他の人の優しさも怖くないはずだ。けどもしお前が不幸になった場合、自分よりも不幸な人を見て安心するんだろうな!」

顧海がそう言い捨てて去った後、顧洋は強く机を殴った。
まだ自分を優しい人だと思ってるのか?
お前が誰かに優しくしたことなんてあったか?
白洛因以外にお前が優しく接した人なんているのか?



白洛因は軍に戻った後、上官からの説教を受けていた。しかもどういう訳か幹部の耳にも届いてしまい、次の日の夜9時に呼び出され、休憩無しで3時間の説教を受けた。間違いを認め、5000文字の反省文を書き、翌朝提出するようにと処分を受けた。

白洛因は午前3時まで努力したが、3000文字しか書けず、瞼は重く垂れ下がり、頭がテーブルを叩いた。白洛因は外に出て、冷たい風を浴びて目を覚まそうと決めた。

軍事施設は静寂に包まれ、いくつか灯りがついていたが、直ぐに夜と同化した。

入隊して以来、白洛因は夜更かししたことも、反省文を書くことも初めてだった。

なんで衝動的になってしまったんだ?

冷静になると、白洛因は自分のしたことに戸惑っていた。

"死んだと聞いて、俺は死よりも辛い2年間を過ごしたんだ。その後は海外に行ったと聞かされて、世界中探し回ったよ。探してるうち、何度希望を失ったか……"

白洛因は頭の中で、繰り返しこの言葉が再生された。
死よりも辛い2年間?
俺が初めて軍に来た時よりもマシな人生だろ?
毎日痛覚を麻痺させて訓練に励んだ。
目標がない人生でも死よりマシなのか?
孤独な人生でも死よりもマシなのか?

俺の人生に比べても、まだお前は死よりも辛い人生だったと言うのか?

事故から目覚めた時の感情はどうだった?
不幸で苦しんだと聞いた時の俺の感情は?
病院を半年で退院したあとも、毎年通院していた時の、誰にも言えず逃げ場のない感情は?
世界中で俺の事を探して、見つからなかった時の失望感は?

白洛因はもうこのことについて考えたくなかった。8年間、考える度に身体中の神経が絡み合い、胸が引き裂かれるように強く痛んだ。

ただ忘れたいだけなのに、どうしてそんな簡単なことも出来ないんだ?

白洛因はため息をついて、机に張り付いた。前まではいつだって頭で考えて行動していたのに、いつの間にか力でねじ伏せるようになっていた。
あんなに怠け者だったやつが、企業経営してるとはな!

奇妙な事が起こる世界だな。



「白洛因、26歳。国家一級飛行士、安全飛行時間1407時間、その間敵機25機殲滅。二等功1回、三等功1回。軍では訓練の他に飛行技術理論の研究に参加。無動力飛行理論他、軍事理論の新しい概念を提唱。武从生、36歳。国家一級飛行士……」

指導官の紹介が終わると、研究所長へと意見を求めた。

「目の前にいるこの2人が、私の推薦です。現在企画しているラジオナビゲーションプロジェクトにはどちらの方が適していますでしょうか?」

所長は眉をひそめて、真剣な表情で指導官を見た。
「お前はどっちの方が適していると考えているんだ?」

「2人にはどちらもいい点があります。経験的に言えば、当然武从生の方が優れています。しかし先駆的かつ将来を見据えた視点は、白洛因の方が優れています。私の個人的な見解から言えば、小白を推します。彼は若いですが、しかし慎重に、効率よく動きます。この分野でより多くの研究を重ねることは、彼にとってより成長する事に繋がると考えています。」

所長は頷いた。
「君の意見を尊重しよう。」

指導官は目を輝かせ、所長の手を握った。

「こいつは私たちの基地でも可能性がある奴なんです!」

所長は微笑んだ。
「彼に任せるよ。」

第5話 激突する2人

顧海は白洛因が軍服を着て自分の隣に経つ姿を見た。顧海の心の中に8年間隠されていたものが解放され、全ての神経と内蔵を貪られているようだった。

白洛因は顧海のその視線で火傷し、顔の半分は麻痺していた。自分が軍服を何故着ているのか、冗談だと、嘘だと言われるのを待っているようだったが、言葉が出なかった。2人が見つめ合い、沈黙していると、後ろから部下が入ってきた。
「隊長、何してるんですか?」
その一言は、白洛因を奈落の底に突き落とした。

白洛因は機械的に、その幸せそうな顔をしている部下の方へ顔を向けて、静かに話した。
「先に行ってろ。俺も直ぐに戻る。」

「早くしてくださいよ?皆待ってるんですから。」
部下はそう最後に促してから去って行った。

白洛因は自分のことを落ち着かせて、なんてことない顔で顧海を見た。
「偶然だな、お前もいたのか?」

顧海は話題を変えようとする雰囲気を容赦なく切り捨てた。
「なんで入隊したって言わなかったんだ?なんで俺の事を騙したんだ?死んだと聞いて、俺は死よりも辛い2年間を過ごしたんだ。その後は海外に行ったと聞かされて、世界中探し回ったよ。探してるうち、何度希望を失ったか……俺を苦しめるのはそんなに楽しいか?」

白洛因は心の痛みを覆い隠して、冷たい目で言った。
「俺はお前を騙したことなんてない。周りの奴が勝手に言ってるだけだ。俺がそう言えなんて言ったことは一度もない。ただ俺の人生を生きてただけだ。」

「お前の人生を?」
顧海は冷笑した。
「そんな人生終わってるな。お前のメンタルの強さと戦略能力を褒めてやりたいよ。」

「あぁ、俺は強くなったんだ。」
白洛因の目が冷たく、鋭くなった。
「お前が俺を貶したって、俺は笑うだけだ。お前が不快に思うだけだぞ。」

「そうか?」
顧海はその目に怯まなかった。
「じゃあ教えてくれよ。なんで入隊したんだ?海外に逃げた方がマシなのに、なんでそんな罰を与えられてるんだ?」

「俺の自由だろ。海外に行くのが幸せだとは限らない。それがお前になんの関係があるんだ?」

「白隊長、俺のせいで入隊したとは言わないのか?」

顧海は冷静に尋ねながらも、白洛因の心を強く抉った。

「なんでお前のために入隊する必要がある?自意識過剰じゃないか?」

「なんで俺のせいにしないんだ?あの時父さんは俺を入隊させたがってたが俺は嫌がった。けどお前が入隊すれば、父さんだって諦める。お前が入隊すれば俺たちは完全に引き離すことが出来るし、俺が入隊する必要も無くなる。俺の言ってることは間違ってるか?」

白洛因はタバコに火をつけて、低い声で言った。
「考えすぎだ。」

顧海は白洛因の手からタバコを奪い、そして咥えた。
「考えすぎなのか、お前の演技が上手いのかどっちだ?」

「俺が演技する必要なんてあるか?外に出て俺がパイロットかどうか聞いてこいよ。お前が長官の息子だからって、なんで俺が入隊するんだ?お前の父さんには力がある。入隊しなくとも俺たちを引き離すのは簡単だろ!お前が求めているような理由じゃないだろ?」

「お前は本当に天才だな!」
顧海の目が赤くなった。
「忘れるなよ。お前も顧威霆の息子だ。お前が入隊すれば、あいつの部下に息子が加わるんだ。そうなれば俺を制限する必要もなくなる。お前と俺が変わるべきだったんだ!」

「変わったところで意味ないだろ。権力を盾にするな。」

「お前……!!」
顧海は白洛因に近づいた。
「入隊するにしても、なんでコソコソ隠れる必要があった?なんで最高経営責任者なんて言った?なぜ副司令官だと言わなかったんだ?」

白洛因は拳を握り締めた。その目には全てを救うための冷酷な力が含まれている。
「俺が入隊することがお前になんの関係があるんだ?入隊すれば家だって助かるだろ?父さんは幸せそうだよ!!」

「そんなに困ってるのか?」
顧海の瞳が突然暗くなり、怒りと悲しみの混じった色になった。
「白洛因、何度だって言ってやるよ!!もう俺にはお前しか居ないんだ!!」

「俺しか居ないって?」
白洛因は怒りを抑えようとした。
「お前の周りには俺よりいい人が死ぬほどいるだろ!」

顧海の心が苦しくなり、なにも言えなくなった。8年間、痛みを麻痺させて生きてきたが、これほどの痛みを感じたのは初めてだった。
ーやっと会えたと思ったのに、お前はまた俺を苦しめるのか!!

白洛因は興奮していて目の前がぼやけていたので、顧海が近づいて来たのに気づいていなかった。しかし、白洛因に向かって手が伸びた瞬間、払われた。

「顧社長、俺は今、白隊長なんだ。お前は強いが、俺の対戦相手になれる程じゃない。辱めを受けるのは嫌だろ?」

「本当か?」
顧海は冷たく睨みつけた。
「あの時泣いて良がっていたお前が、今どんだけ強くなったのか見してみろよ!!」

顧海がそう言い返した瞬間、白洛因の手から血が流れる程強く殴りかかった。喧嘩が始まった直後、トイレは騒がしかった。水の流れる音、ドアにぶつかる音、殴った音、骨がミシミシ鳴る音……しばらく荒れた音が続き、2人がいた会場から人が集まり、トイレに人が溢れかえった。説得をする者、観客、野次馬、怖がる者……人生の色んな瞬間を混ぜ合わせた様だった。

美女は全員驚きの表情をしていた。3、4年会社に務めていた女性社員でも、顧海が殴った所も、叫んでいるところも見たことが無かった。
ー……どうしてこんなに荒れたの?
顧海を心配しながらも、恐怖を抱いていた。副社長の地位を求めていたが、当分は噂話をする平社員の方がいい。


その場にいた兵士たちも信じられないものを見るような表情をしていた。

白隊長が暴言を?
しかも人前で殴り合い?
この男はどうやって白隊長を挑発したんだ?
いつも平然としているパイロットの感情を荒らすなんてどうやって?

刘冲は兵士とホテルスタッフを呼んで、白洛因と顧海を引き離した。引き離した後でも、2人の目は未だ激しく睨み合っていた。

「白隊長、なかなかお強いんですね。」
顧海は口元の血を拭いながら笑った。
「最近は飛ばして無いのか?」

顧海の下品な冗談に、白洛因は恥ずかしさを感じた。ここにはたくさんの女性が居るし、自分を慕ってくれている部下もいる。そんな大勢の前で屈辱を受け、ここから逃げ出すことも許されない。

だが、白洛因はそんな冗談に振り回されることなく、微笑んで女性社員を見た。

「社長を喜ばせたいんだったらそんな濃いメイクじゃだめだ。この社長の性癖は狂ってるから、ちょっとやそっとじゃ満足しないぞ。今から言うことを覚えろよ?赤い花柄のジャケットと緑のズボンを用意するんだ。その格好で社長って呼んでやればこいつは死ぬほど喜ぶ。」

そう言うと、白洛因は闫雅静を見て、顧海の視線を浴びながら気軽に話しかけた。

「妹、あなたは知らないかもしれないが、俺の弟は肉棒味のチキンが好きなんだ。スーパーに行ったら腐るほど買ってやれ。」

闫雅静はその場で硬直し、顧海も固まった。

白洛因は微かに微笑み、部下に向かって叫んだ。
「行くぞ!」

エレベーターの入口辺りで足音が消えた……



顧海が会社に戻った後、細かい仕事を処理して、説明もせず香港へ飛んだ。

香港での顧洋の企業は近年順調に進んでおり、それを誇りに思っていると、弟がドアをノックする音が聞こえた。

顧海は幹部達の前で座っている顧洋を、突然会議室から連れ出した。

「なんで急に来たんだ?」
顧洋の顔が不機嫌に歪んだ。
「数年前に消えたと思えば、急に出てきてまた問題を起こす気か?」

「8年前の交通事故で何が起こったんだ?詳しく話せ!8年間、兄弟を信じていた。ブレーキが壊れたって怪我を負ったのは俺だったから気にしなかった。なんで白洛因の入隊について教えなかったんだ。なんで8年前あいつが死んだと俺に嘘をついたんだ!」

それを聞いて、顧洋の顔が曇った。

「大したことじゃないだろ。事故の方が大事だ。顧海、よく考えろ。そんな些細な事に足元を掬われる気か?そんなんで俺の弟として恥ずかしくないのか!?」

「お前の弟だなんて思ったことも無かった。お前を人とすら思ってねぇよ!お前がやったことは畜生と一緒だ!」

第4話 止められない運命

夜、白洛因が寝ようとしていた時に、上官からの電話がかかってきた。

「小白!明日、軍事訓練参加メンバーで打ち上げを行う。お前も絶対来いよ!」

白洛因は黙っていたが、しばらくして尋ねた。
「どこでやるんですか?」

国際会議展示場5階の宴会場を予約したと言われてしまえば、断る言い訳も思いつかない。若い兵士たちは外に出て遊びたいだろう。しかし訓練に関係の無いものであれば、白洛因は基本的に参加したくなかった。

「あの、行かなきゃダメですか?」

白洛因が無気力に言うと、上官は笑った。

「副司令官なんだから部下ともコミュニケーションを取れ。お前が怖すぎて、部下は頭を上げられないらしいぞ。」

白洛因は眉を下げた。
「そんなにですか?」

「鏡で見てこい!」

白洛因が素直に鏡の前に立っていると、上官の声が聞こえた。

「軍服を忘れるなよ。写真を撮るからな。」

「はい、分かってます。」

電話を切り、白洛因は鏡の中に映る自分を注意深く見て、心の中で呟いた。
ーそんなに怖いか?
怖さを軽減するために、シャワー後に髭を剃ろうと決めた。

ちょうど髭剃りを手に取った時、ドアを叩く音が聞こえた。

「誰だ?」

「隊長、私です。」

刘冲の声だったので、白洛因はすぐにドアを開けると、厚い綿の服を持ち肩に雪が積もった刘冲がいた。

「どうした?」

白洛因がそう尋ねると、刘冲は服を白洛因に無理やり持たせて、そのまま何も言わず、寒い外へと走って行った。

白洛因が服を見ると、それは洗濯された軍服だった。明日着なければならないのに取りに行く時間が無く、刘冲に頼んでおいたものだ。外出の手間を省けたので、白洛因の心は暖かくなっていた。




顧海の会社の年次総会は本日開催される。国際会議展示場5階の、白洛因達の会場の隣で開催されている。

毎年この総会は、若い女性社員最も幸せな瞬間だった。評価を与えてもらえるだけではなく、社長にお近づき出来るかもしれない絶好の機会だ。アイコンタクトだけでも出来れば、彼女達は何日間も幸せになれる。女性社員は自分を着飾る準備に忙しく、この機会に社長の気を引こうとしていた。

この会場には美女だけが集まり、それも全員着飾っている。女性のウェイターは呼ばず、全て男性に変えてもらった。

会社に長い間属している社員は男性と全く接触できていないので、誰もがウェイターのことをじっと見ていた。

顧海は大まかな指示を出すだけで、細かいことは闫雅静が決め、監査と記録も担当している。時々微笑んで拍手を送るだけで、殆どは冷たい顔をしていた。

格式ばったものは終わり、やっと夕食の時間となった。ビュッフェ形式なので自由に行動でき、多くの美女がこの機会にと顧海に近づこうとした。

食べている途中で、突然ある美女が廊下から帰ってくると、興奮した面持ちで周りの社員に言った。
「トイレに行ったんだけど、隣の会場をちらっと見たら軍服を着た男性が沢山いたの!しかもパイロットよ!それにイケメン!!」

「本当に!?」
美女は冗談だと思っていた。
「そんなにたくさんの男性がいたの?それにしたって興奮しすぎじゃない?」

「嘘じゃないわ!本当にイケメンだったの!信じられないなら行って見なさいよ。戻ってきたらあなたもこうなってるわ。」

美女は信じていなかったので、意気揚々と出ていったが、すぐに戻ってきた。

「なんてことなの!とってもハンサムな将校様がいらっしゃったわ!ドアの近くに座っていて、私のことをちらっと見たの……あああ!!もうずっとドキドキしてるの。……もう1回彼のことを見てこないと。」

そう聞くと、何人もの美女が一斉に出て行った。



白洛因はドアの近くに座っていると、突然背中に冷たい風を感じて振り返ってみると、ドアが閉まっていなかったので、閉めようと立ち上がった。ドアの近くに立つと、彼を見ているたくさんの女性は背筋が凍って、急いでドアを閉めた。

美女達は急いで戻ると、その噂を広めた。


会場に居た全ての上官が去り、何日間も恋人に会えていなかった兵士達は彼女にメッセージを送っていた。そしてそれを他の兵士に見せびらかし騒いでいる会場に、1人のトイレに行っていた兵士が戻ってきた。全員に向かって3回笛を吹き、会場が一瞬で静かになると、誰もが不思議な顔で彼を見た。

「……私が何を見たかご存じですか?」

誰もが期待して彼のことを見た。

男はテーブルを叩いて笑った。
「隣の会場で会社の年次総会をやってたんだが、全員美女でした!しかも社長がその美女を独り占めしてるんだ!独身の人は……わかってますね?」

そう言い終えると、会場全体が沸いた。

「急いで外に行くぞ!こんなの取りこぼしたら次がいつあるか!」

「とりあえず2人連れてけ!身長の高いイケメンをな!」

「2人で足りるか?少なくとも20だろ!」

5分間そんな喧嘩をしていると、上官が声を出した。

「座って食え。」

今まではしゃいでいた顔がその一言で粉々に殴られ、ため息がどこかしこで溢れた。

上官はハッキリと言った。
「誰か1人を送って美女を誘って来い!」

そう聞くと、凍えていた会場がまた一気に沸いた。

「ハハハッ………さすが上官!ご配慮に感謝します!!」

上官は微笑んだが、誰が誰だか分かっていなかった。



誰を連れていくか会議すると、 全員一致で白洛因に決まった。空軍の最初の派遣兵士は、ドアの前で立ち止っていると、先に美女たちが出てきた。

このような幸せな機会を他の人が体験していたのならは話は別だが、白洛因には耐えきれず、歯を食いしばって逃げ出したかった。

その会場の2つのドアは大きく開けられていたので、白洛因は足を上げて中に入った。何を話しているかまでは分からなかったが、マイクを持って話している闫雅静を見た。白洛因が会場の中心に目を向けると、美女に囲まれている顧海を見つけた。まるでそれは接待を受けている様だ。

白洛因が頭を下に向けると、肩章があり、それを見た瞬間緊張が走り、美女など目には入らなかった。

白洛因のいた会場の誰もが、白洛因の帰りを楽しみに待っていた。

白洛因はハッキリと、それが真実であるかのように言った。
「嫌だと。」

悪い知らせを聞くと、兵士達は涙を流した。


もう一方の会場の女性たちがまた話し出した。
「さっきのイケメンな将校様が来てたわよ。」

「騙してるんじゃ無いでしょうね?本当だったら連れてきなさいよ!」

美女は狂いながら、真っ直ぐと顧海の前に立った。

「顧社長、隣の会場の方を誘ってもいいですか?双方の交友関係を広げるいい機会だと思うのですが。」

顧海は興味が無かった。
「好きにしなさい。」


白洛因が椅子に座った途端、周りから歓声が上がった。周りを見渡せば、ドアに美女たちが立っていた。

「美しい方、部屋を間違えたのですか?」

兵士は誰かが話し出すのを待てずに話しかけると、その美女は白洛因の前に立った。

「隊長さん、あなたの所の兵士と私の所の社員と社交パーティをしませんか?」

長期間女性と話していない兵士達が、長期間男性と関わっていない社員に会うと、思っていたよりも意気投合していた。着飾った美女達は我先にとお目当ての兵士を誘惑した。

イケメンは多いが、コミュニケーション能力が低すぎた。話題を見つけたように1人の兵士が叫んだ。
「副司令官を呼びましょう!副司令官は歌がとても上手いんです!」

これを聞いた途端、その場にいた男女全員が噂の副司令官を探したが、見つからなかった。


白洛因は1時間近くトイレに座っていたので、胸の圧迫感と息切れに耐えられなくなっていた為、もう戻り、上官にちゃんと説明をしようと決めた。

個室から出て、手を洗っていた。

隣で誰かが手を洗っていたが、白洛因は気にする余裕もない。手を洗い終えて顔を上げ、鏡を見ると、全身が凍りついた。