第17話 激しい戦い

空域に侵入してきたのは、国籍不明の偵察機だった。白洛因の戦闘機が離陸した後、この偵察機を探したが、偵察機は機体が小さく、赤外線も弱い為、レーダーによる検出と追跡が難しい。白洛因は肉眼で捜索し、優れた加速性能を駆使し、迅速に目標へ接近した。

やっと、白洛因は偵察機を見つけ、ミサイルを発射したが、予期せず敵機も爆弾を投下し、白洛因の攻撃から逃れた。白洛因は状況を理解し、空中給油を行うと、中国全土を横断し、敵機は西へ向かった。最初、敵機は回避を選んでいたが、意外にも白洛因が追いかけて来た。敵機は圧倒され、やむ無く攻撃を始めた。二つの戦闘機は空中戦へとなだれ込んだ。

低速飛行していた戦闘機が急激に加速し、射程に入ったらミサイルを発射した。しかし白洛因はすぐに回避し、柔軟に戦闘機の瞬時な角度変更をした。白洛因への過負荷は彼の身体の限界に近づき、血が下がり、脳に十分な血液供給をすることが出来なかった為、目の前がぼやけた。

しかし恐怖は無かった。

突然、白洛因は別の空中警告を受けた。二機が交差し激突しようとしている。白洛因は無意識に大きくオーバーロード操作を行い、敵機の後ろについた。それに気づいた敵機は急いで攻撃を仕掛けようとしたが、間に合わず、不利な状況へと持ち込まれた。

白洛因は状況を利用し、ミサイルを敵機の左翼に向けて発射した後、すぐに二発目を撃った。

白洛因の"死ね!"の声と共に、敵機が空中で分裂しし、破片が至る所で爆発した為、白洛因の前は煙で何も見えなくなった。

白洛因が帰還しようとした時、突然機体の不規則な揺れを感じた。

白洛因は原因解決しようとしたが、戦闘機の操縦自体が既に出来なくなっており、戦闘機が倒立状態に陥った。この時、白洛因は既に頭を下げ、重度の脳の鬱血に加え、足がぶら下がりペダルに届かず、激突を防御することは困難だった。

すぐに、白洛因は身体が落ちていくのを感じ、下には沼地が見えた。

パラシュートで逃げた瞬間、白洛因の目の前で戦闘機が爆発した。

突然、八年前の事故を思い出した。

何年間も心に埋もれていた恐怖が、この瞬間ようやく顔を出した。

初めて死が怖く感じた。



美しい衣装を着た司会者が顧海に近づき、小声で尋ねた。
「もうすぐ時間ですが、始めて宜しいですか?」

顧海は招待客のリストを見て、そして式場に集まった招待客を見て、ただ一人だけがやはり欠けていた。

「すみません。もう少し待ってもらってもいいですか。」

闫雅静は母の側にいた。母は闫雅静よりも緊張していて、聞き続けた。
「まだ始まらないの?いつ始まるの?」

闫雅静はせっかちに聞かれるのに耐えられず、顧海の元へ向かった。

「誰が来てないの?」

顧海は光の無い目で闫雅静を見て、静かに三文字だけを吐き出した。
「白洛因。」

「あっ……。」
闫雅静の顔が突然変わった。
「そしたらもう少し待ちましょう。」

式場には招待客もスタッフも揃っているのに、顧海だけがホールに立っていた。ドアの前に立つその顔には、微かな不安が滲み出ており、理由もなく胸が苦しくなった。

顧威霆は立ち上がって顧海の元へ歩いた。

「なんで始めないんだ?」
顧威霆が尋ねると、顧海は彼をちらっと見て、小さい声で言った。
「白洛因が来ないんだ。」

顧海からその名前を聞いて、顧威霆はまだ受け止め切れなかったので、口調が固くなった。
「彼一人じゃないか。闫雅静のご両親も待ってるんだぞ?」

顧海が闫雅静の母をちらっと見ると、体調が万全ではないのに加えて、長時間騒がしい環境で座っていたので、彼女の顔色は既に悪かった。

「……わかった。」

顧海が中へ入ろうとしていると、突然入口に影をみつけたが、彼が求めていた人物ではない、軍服を着た別の人物だった。

兵士は顧威霆の近くへ寄ると、小声で何かをささやき、それを聞いた顧威霆の顔色が変わった。

それから顧海に目を向けたが、すぐに目を逸らした。

その目だけでも、顧海は心に強い打撃を与えた。

彼は二人に一歩近づき、静かに尋ねた。
「どうしたんだ?」

「なんでもない。」
顧威霆の顔は鈍っていた。
「少し軍で問題が生じた為行くが、式はそのまま開きなさい。私は……」

「因子に何かあったのか?」
顧海が顧威霆の言葉を遮った。

それを聞いた顧威霆の顔が突然変わり、声に怒りが滲んだ。
「これは軍の問題だ。お前には関係ない。」

顧海が突然声を荒らげた。
「因子に何かあったのかって聞いてんだよ!!!」

顧威霆は固まったまま、何も言わなかった。

騒々しかった式場は途端に静かになり、全ての招待客がこっちを見て何が起こったのを探っている。闫雅静はそう遠くに居ない顧海を見て、すぐに何かが起こったのだと理解した。

顧海は顧威霆の横を通り過ぎて、ドアに向かって歩いた。

「戻って来なさい!」
顧威霆が叫んだ。

顧海はそれを無視して、警備員の驚いた視線を浴びながら歩いた。

「あいつを止めろ!」

命令が下ると、三、四人の警備員と数人のスタッフが顧海の後を追った。顧海は会場の通路を歩き、会場にいる誰もに見られながら、三階の窓から飛び降りた。

顧威霆も後を追うと、階段で止まっている七、八人の警備員の誰もが、恐ろしいものを見たかのような表情をしていた。

「あいつは?」

警備員の一人が答えた。
「とっ……飛び降りました。」

顧威霆は顔を青くして窓へ走り見下ろすと、彼の息子は既に走っていた。

闫雅静も出てきて、絶望している顧威霆の顔を見た。

「おじさん、一体何があったんですか?」

顧威霆は落ち着いて、声を下げて言った。
「軍で問題が起きて、小海は兄を心配してるんだ。私もすぐに軍に行かなければならない。ご両親にどう説明すれば……恥ずかしくて仕方ないよ。問題が解決したら、なにか償いをさせてくれ。」

闫雅静は寛大に受け止めた。
「おじさん、大丈夫ですから早く行ってください。人の命は何よりも大切ですよ。」

顧威霆は頷いて、すぐに他の軍人と去った。

闫雅静は人を騙すのは上手くいかないとため息をついた。



顧海が軍に着く頃にはもう夜だった。

監視と調査を行った一部の将校と兵士を除いて、その場には殆ど誰もいなかった。

冷たい風が何度も吹き、顧海の心は重たく苦しかった。軍人が彼の方へ向かって来て、悲しい表情で説明をした。

「白洛因の操縦する戦闘機が敵機との戦闘後……」

「詳細はいい。」
顧海の目はビー玉の様だった。
「結果だけを教えてくれ。」

軍人は唾を飲み込み、小さな声で答えた。
「……戦闘機は墜落し、パイロットは失踪しています。」

失踪?こいつは本当にそう言ったのか……?

時代を超えて、様々な事故で行方不明になった戦士は、音信不通のままだった。

軍人は慎重に言葉を付け足した。
「戦闘機が爆発する前の瞬間に、白洛因はパラシュートで脱出しています。安全な高さからでしたので、生存確率は高いです。」

「どこに飛び降りたんだ?」

顧海が静かに尋ねると、軍人は顔を伏せた。
「……まだ分からないんです。」

「あいつはどこに落ちたんだ!?」

顧海の目の冷たさは、周りに吹雪く風をも押し戻す力があった。

軍人の声は落ち込んでいた。
「……恐らく沼地に。」

顧海の身体が固まり、胸へと血が急ぎ、握りしめた拳はミシリと悲しい音を立てた。

「なんであいつにそんな危険な任務をさせたんだ?他にもパイロットがいるのに、なんであいつを死なせたんだ!?」

顧海は野生のライオンのように手に負えず、誰かが捕まえれば狂ったように噛み付いた。

軍人は急いで説明した。
「私は知りません!これについてはなんの責任を負うことも出来ません!私はただ捜索と救助をするのであって……私は……私は関係ありません……。」

顧海の血に飢えた瞳は、彼の無気力な顔を見つめた。責任を負おうとしない人を、この世で一番嫌っていた。

「軍は大規模な捜索と救助を行うために兵士を送ってます。二日以内には見つかるかと……。」

冷たい風の中、顧海は走り去った。

沼に沈んでたって、俺が絶対助けてやるからな!


ーーーーーーーーーーーーーー

白洛因は着陸する寸前でも、自分がどれほど深く沈むのかを計算していた。胸より下の場合、生き残れる可能性がある。胸より上で首より下だったら、運次第だろう。
頭までも沈んだら、後は死を待つだけだ!

次の瞬間、彼は身体に何かにぶつかった痛みを感じ、身体の半分が麻痺した。白洛因が息を逃し、痛みが引くと、何かがおかしい事に気がついた。

なんだ?沼じゃないのか?

白洛因は座り、地面を押すと硬かった。

第16話 突然に

翌日、結婚することを顧威霆に伝えた。

顧威霆は顧海が報告もせず勝手に決めたとしても、幸せそうだった。そして相手の事についても何も聞かず、ただ頷いた。息子は背が高く顔もいいのに浮いた話も無かったので、いつ結婚するのかと心配していた。その女性が息子と結婚するのと決めたのなら、どんな女性であれ、顧威霆は喜んで受け入れた。

顧海は顧威霆の幸せそうな笑顔を久しぶりに見た。

白洛因が海外に行った訳ではなく、入隊したと知った時から、顧海は顧威霆にそれについて問いただそうとしていたが、聞くのをやめた。父は見た目には出ていないものの歳をとり、それは息子に対する態度へ反映されている。顧海はどれだけの間、顧威霆に怒鳴られていないのか思い出せないほどだった。
12月26日、顧威霆と姜圆は闫雅静の両親に会った。

闫雅静の母は相手の家族にいい印象を持ってもらう為、病院を出る前に化粧をした。しかし顔色の悪さまでは隠すことが出来なかった。
闫雅静の父親も山東省の高官であり、顧威霆に会ったことがあったが、それも数年前の話だったので、お互いに覚えていない。

お互いの家族は笑顔でテーブルを囲んだ。

顧海はまず、闫雅静の手を取り立ち上がって、顧威霆と姜圆を見て言った。
「俺の彼女の闫雅静です。」

闫雅静は丁寧に頭を下げた。
「こんにちは。」

「驚いたわ。こんなに美人さんを捕まえたのね。」

姜圆が笑顔でそう言うと、闫雅静は少し恥ずかしがった。
「ありがとうございます。お義母様。」

顧威霆は将来娘になる闫雅静に親切なことを言おうとした。
「うちの息子は才能もなく、真っ直ぐすぎるので感情のコントロールが出来ないんだが、それはあなた次第だ。これから2人が共に生活する中で、喧嘩をしてしまうかもしれない。その時、あなたが寛大であることを願ってるよ。」

「顧さん、謙虚すぎますよ。うちの娘が小海と結婚できるだなんて、幸せすぎるくらいなんですから。」

闫雅静の父はそう言うと、闫雅静に目を向けた。

「この時代の子は1人でご飯も炊けない様な女性が沢山いますが、うちの子は小さい頃から家事に慣れてます。あなた方が娘を嫌がらない限り、私はただ祝うだけですよ。」

闫雅静の母はこれを聞いて笑顔で頷いた。

闫雅静も顧海を両親に紹介すると、顧海は身を乗り出して闫雅静の父にワインを注ぎ、軽く会話をした。闫雅静の父は義理の息子に満足した。軍人の息子にふさわしい身振りで、臆病でも傲慢でもなく、適切に話し落ち着いて行動する。そんな男に娘を託すのだから、なにも心配することは無かった。

ご飯を食べている時、姜圆は顧威霆に言った。
「ねぇあなた、見てよ。本当にお似合いよね?」

顧威霆は笑うだけでなにも言わなかった。

闫雅静の父は顧威霆に尋ねた。
「もう1人息子さんがいらっしゃるんですよね?」

「えぇ。うちの子は戦闘機のパイロットをしてるんです。今年26になるんですが、もう少佐なんですよ。」

顧威霆の代わりに姜圆が答えると、闫雅静の父は二人に嫉妬深い視線を投げた。

「その息子さんはもうご結婚を?」

「……してないんです。」
姜圆は躊躇いながらそう言って、再び微笑んだ。
「でもすぐですよ。もうすぐ。」

顧海の目から光が消えた。

闫雅静は冗談を言うように話した。
「結婚を急いでらっしゃるの?一気に2人もだなんて大変だわ。」

「急いでる訳では無いんです。息子は仕事が仕事ですし、生活も不安定だから後回しなんですよ。そんな事よりも小海の結婚の方が大切だわ!遅れてしまってはダメだものね。」

「えぇえぇ。私もこんな身体ですから、早く娘を送り出したいんです。」

「娘さんが結婚する幸せな姿を見たら、病気も治るかも知れませんものね!」

お互いの家族は笑顔で会話をしていたので、テーブルには幸せが溢れている。闫雅静が顧海のお皿に料理を乗せる幸せそうな夫婦の姿は、演技だなんて誰も疑わなかった。

顧威霆は久々にお酒を飲んだので、トイレに行くまで顧海に助けて貰った。

2人が手を洗っていると、顧威霆が突然息子の名を呼んだので、顧海は顔を向けた。

顧威霆の目にはいつもの鋭さは消え、口調は酔っ払いそのものだった。

「父さんはお前が8年間苦しんでたのを知ってるんだ……。」

顧海の手が止まり、止めるのを忘れた水は、まるで何年にも渡る永遠の悲しみと希望を流すようだった。

「父さん、飲み過ぎだよ。ほら行くぞ。」

「飲んでなんかないぞ。」

顧海は手を振って違うと繰り返す顧威霆を無理やり引っ張っただけで、今は何も言えなかった。



すぐに28日になった。

今朝早く、闫雅静は化粧室に連れて行かれ、長時間の準備を始めた。彼女が化粧室から出てきた時、周囲から歓声が上がった。その声の多くは招かれた女性社員からのもので、彼女はカメラを急いで用意して闫雅静を撮り続けた。撮影が終わると会話し、式場全体が賑やかになった。

10時を過ぎると、招待客が次々とやって来た。

顧海は入口の近くに立ち、幼なじみの友人や先輩などと挨拶を交わしていた。
彼はただ1人を待っていたが、待っている間は苦虫を噛み潰したような気持ちだった。なにを言えばいいのかも分からないのに、なぜ待っているのかも分からず、それでも頑固に待ち続けた。

馴染みの2人が顧海の視界に写った。

顧海の目は熱くなり、心の準備をしていたのに、白漢旗と邹叔母さんを見ると、呼吸もままならなくなった。白漢旗は明らかに老いていて、歩く時は背中が曲がっていたが、それでも笑顔は昔のままだった。邹叔母さんはいつもと変わらず、白漢旗の側に立ちながら、時折緊張した表情を見せていた。

遠くにいる顧海を見つけて、白漢旗の歩みが止まった。

昔は自分のことをおじさんと呼んでいたただの子供が、スーツと革の靴を見に纏い、彼の前に立っている。あっという間に八年が経ち、息子は彼の夢を追わせる為に入隊し、トンネルで飢えていた息子は、結婚式場に立つほどになった。

顧海は白漢旗の元まで歩いていったが、少し調子がおかしかった。

「おじさん、おばさん。来てくれたんですね。」

邹叔母さんは驚いて顧海の腕を掴み、呆然と見つめていると、振り返って白漢旗を見た。

「この……これが本当に大海なのかい?」

「何を言ってるんですか。誰の結婚式に来たのか思い出してください。」

それでも邹叔母さんは興奮して言った。
「あらまぁ、こんなに変わったのねぇ!全然分からないわ!あんたはまだ私の中じゃ毎朝朝食を買いに来る高校生だったのに、自分の会社を持つほど大きくなったものね!」

白漢旗は顧海の肩を撫でて、元気に言った。
「息子よ、おじさんは嬉しいぞ!」

顧海は八年前、白漢旗に告白した時、今と同じ様に肩を撫でてくれたのを覚えていた。しかしその時、彼はなにも言ってくれなかった。

顧海は彼の気持ちを受け止めて、2人を式場内へと連れて行った。

途中、顧海が何気なく尋ねた。
「孟通は来ないんですか?」

邹叔母さんは恥ずかしそうに微笑んだ。
「高校でもうそろそろ期末試験の時期でしょう?追試を受けない為にも来させなかったの。」

顧海は目の皺を深くさせた。彼の中では今でも孟通は、一日中自分にくっついて回り、お兄ちゃんと呼ぶ小さな子供のままだった。

「そうですか。おじいちゃんとおばあちゃんは元気ですか?」

顧海が尋ねると、白漢旗は軽く答えた。
「一昨年に一人、去年一人亡くなったよ。」

顧海の心は沈み、尋ねるのをやめた。

彼はいつも覚えている。白おじいちゃんは馬に乗るのが好きで、いつも手巻きタバコを咥えて、少しずつ煙を吐き出していた。彼の前を歩いた時、タバコを一本くれたが、一口吸ってみるとすごく辛かった。白おじいちゃんは顧海が何か言うと、欠けた歯を見せて笑っていた。



白洛因は顔を洗うと、軍服に着替え、鏡の前に立ち気合を入れた。

車が彼の為に用意され、運転手が外で待っている。白洛因はさりげなくテーブルの招待状を手に取って、静かに"顧海"の2文字を見ると、重い足取りでドアへと向かった。

外は骨が凍るほど寒かった。

白洛因が車に乗り込むと、突然知っている2人が慌てているのを見つけた。

そのうちの一人を捕まえた。
「そんなに急いでどうしたんだ?」

「緊急任務だよ。聞いてないのか?」

白洛因が答える前に、2人は去ってしまった。

「ちょっと待っててください。」

白洛因は財布を運転手に投げて、2人の後を追った。

「現在、敵機が我が空域に不法侵入している。それらを迎撃する為に2つの戦闘機を送り込まねばならない。しかし敵機の飛行速度と性能に正確な情報が一時的に入手不可能になっている為、とても危険な任務となる。これは己を試す時だ。他には何も言わん。遺書を書け!」

彼らの顔は突然色を変えた。彼らは毎日訓練を行っており、戦闘演習も豊富に行ってきたが、実際に死を前にして頷くことが出来なかった。

「命令に違反するのか?」
参謀長の顔が急に沈んだ。

彼らの心はそれ以上に深い谷底へ沈んだ。

すると突然、後ろから声がした。

「私に行かせてください。」

参謀長は目を細め探すと、それほど遠くないところに白洛因が立っていた。

白洛因の顔は異常な程に穏やかだった。

「私に行かせてください。そうすれば遺書を書く必要もありません。」

第15話 素晴らしい日

12月25日から、顧海の会社は正式に休みに入った。ゲージに入れられていた女性たちは、美しい鳥のように、星が月を抱く短い時間を楽しむ為、男の居る場所へと飛んで行った。狄双も遂に解放されたが、白洛因は未だ忙しかった。

顧海は青島へ行き、病院にいる闫雅静の母の元へと向かった。

闫雅静が顧海を母の病室へと連れて行く途中、彼女は彼を見ていた。

「顧海、おねがいがあるの。」

顧海は深い声で言った。
「忘れたのか?お前は俺を助けてくれたんだから、恩を返すのは当たり前だって言っただろ。お前に言われたことは出来ることなら断らないよ。」

闫雅静は少し笑った。
「あなたがやろうと思えば出来ることよ。」

顧海は闫雅静に前向きに言った。
「出来るんなら喜んでやるさ。」

闫雅静は深呼吸をして、顧海の深い目を見つめた。

「私と結婚して欲しいの。」

この言葉を聞いて、顧海の顔が突然歪んだ。

「もう後悔したくないの。」

顧海は驚きを浮かべながら、真剣な顔で尋ねた。
「それにしたって、どうして急に結婚を?」

闫雅静は振り返って、ガラスの奥に映る景色を静かに眺めた。

「お母さんを安心させたいだけなの。安心して、本当に結婚するわけじゃないわ。お母さんが亡くなったら、婚約は解消するから友達のままよ。」

言いながらも闫雅静は悲しかった。彼女は顧海の最初の反応を見た時点で、彼の心を理解していた。しかしまだ、顧海がそのまま一緒になろうと言ってくれることを、心のどこかで望んでいた……

顧海は何も答えず、タバコに火をつけた。

しばらく経っても返事が無いと、闫雅静は突然笑った。

「したくないなら他の人に頼むわ。母はあなたと何年も一緒に居るって知ってるから、あなたが婚約する振りをしてくれれば、母も安心すると思っただけなの。」

顧海の目が曇った。
「……少し、考えさせてくれ。」

指に挟まるタバコが短くなっていくにつれて、顧海の心も混乱していた。

「顧海、一つ聞いてもいい?」

闫雅静が突然話したので、顧海は彼女に目を向けた。

「あなた、狄双が好きなの?」

顧海は無表情で笑った。
「なんでそう思うんだ?お前はうちの会社で一番賢いと思ってたよ。」

闫雅静は突然手を伸ばして、指輪を見せた。

「あの日私に指輪を贈ったのは、誰かを嫉妬させる為でしょう?私も馬鹿じゃないの。これは私の為のものじゃないくらい分かってるわ。」

……闫雅静が間違えているのはその相手なだけだ。彼女は知らないだろうが、顧海が八年間思い続けている相手は男だ。

闫雅静は顧海が何も答えないので、尋ね続けた。

「昨日の帰り道、二人が車の中でキスしてるのを見たの。」

自分が想像するのと、他人に言われることでは、心へのダメージが全く違う。この時、顧海は自分の感情を隠すことが出来ず、特にその言葉を受け入れる瞬間が一番辛かった。

闫雅静の求めていた姿は、完全に粉々になった。

指輪を外して顧海に渡す顔は、笑顔だったが涙が今にも零れそうだった。
「言わないでも分かってるわ。あなたの心の中に誰かが居るなら、もうお願いなんてしないわ。さっき言ったことは忘れて。」

闫雅静が去ろうとすると、顧海が彼女の腕を掴んだ。

闫雅静はもう目の周りが赤くなってしまっているのが自分でも分かっていた為、恥ずかしい姿を見せないように振り返らなかった。

「手伝ってやるよ。」

顧海が軽く言うと、闫雅静は断った。
「しなくていいわ。悪い人になりたくないもの。」

顧海は無理やり闫雅静にこっちを向かせて、真面目に彼女を見ると、穏やかな口調で話した。

「手伝わせてくれよ。もう愛する人なんて居ないんだ。お前が悪い人になることも無い。」

闫雅静の目には驚きが溢れていた。

顧海は指輪を振って、その表情は複雑そうだが笑顔だった。

「この指輪は古すぎるし、他の人のロゴが入ってるからお前に相応しく無いな。婚約指輪として別の物を買おう。本当に結婚しなくても、お前を想っていることには変わりないからな。」



喜びの叫びが上がった後、研究室にいる数人のエンジニアが飛び上がって、興奮しながら抱き締めあった。

「やっと問題が解決したから、新年は家で過ごせるぞ!」

白洛因は目を細めて微笑み、みんなを落ち着かせようとした。

「今日はご馳走を食べるぞ。俺の奢りだ!」

「ハハッ……お前に殺されないようにしないとな!」

「ただそれまでは夜中まで残業だけどな。」


夜、白洛因は楽しそうに白漢旗に電話をかけた。

「父さん、今年は家に帰れるよ。」

白漢旗が話すのを待てず、白洛因は興奮してそう言った。

「そうか!もう母さんと新年の準備を進めてるんだが、お前が帰ってくるならもっとしないとな!」

「いいよそんな。何日も居られるわけじゃ無いんだ。」

「何日も居なくたって、たくさんご馳走を用意しとくからな。」

電話を切ってしばらく経つと、病院から電話がかかってきた。

「隊長、退院出来ました。」

それを聞いて白洛因の目が輝いた。
「本当か?待ってろ、直ぐに迎えに行く。」

「大丈夫ですよ。小梁が迎えに来てくれたので、もう軍の門の近くに居るんです。」

白洛因はコートを着て急いで出かると、しばらくして車がゆっくりと近づいて来た。

「外で待ってたんですか?」

白洛因は何も答えず、もう一人の兵士が刘冲を車から降ろすと、一緒に寮へ向かった。

「その状態じゃ寮だと不便だろうから一人部屋を手配する。だから安心して治療に専念しろ。新年実家に帰りたいなら上司に申請を出せば直ぐに許可が出るだろうが、遠いから出来れば控えるようにな。こっちに両親を迎える分には、軍もそれを許可するよ。」

刘冲は頷かずには居られなかった。
「幸いなことに、この怪我をしてもパイロットは続けられるそうなので、両親も喜んでます!……それにしても隊長はどうしてそんな嬉しそうなんですか?」

白洛因は唇の端を上げた。
「教えてやろうか?来年昇格するかもしれないんだ!」

そう言うと刘冲は手を叩いた。
「そしたら私の階級も上げてくださいよ!」

白洛因は刘冲の頭を強く叩いた。
「まずは怪我を治すんだな!」

刘冲は楽しげに笑った。

白洛因は刘冲がベッドで辛そうに背中を伸ばせず座っているのを見て、彼に言った。
「俺のベッドで寝てろ。あっちの寮が片付いたら送ってやるから。」

刘冲は礼儀正しいので断った。
「そんな!ダメですよ!」

白洛因は真剣な目で刘冲を見たので、刘冲は諦めてベッドに横になり、白洛因は彼に毛布をかけてやった。

プロジェクトがようやく進み、安心して実家に帰れるのに加えて刘冲も退院した……何日も心を覆っていた雲がやっと晴れたと白洛因が考えていると、突然車のクラクションが聞こえて、外に目を向けた途端、目の奥が再び曇りだした。

顧海が車から降りると、白洛因はドアに向かって真っ直ぐと進んだ。

「隊長直々にお迎えだなんて、高待遇だな!」
顧海は嬉しそうにそう言った。

「迎えに来たんじゃない。からかいに来たんだよ。」

「からかう?」
顧海の目が輝いた。
「なんだ?また金が無いのか?」

白洛因は口角を僅かに上げた。
「いや……いい。教えてやらない。」

顧海の顔が変わり、白洛因の寮までついて行くと、刘冲がベッドで寝ていたが、来客に気づいて起きようとした。しかし、白洛因に止められてしまった。

「大丈夫だ。お前の客じゃない。」

この光景を見て、顧海の気分は言うまでもなく悪くなったが、しかし考えるのをやめた。どうせ白洛因には彼女がいる。ただ心の中では文句を言っていた。
特別扱いすんなよ!
なんで兵士が白洛因のベッドの上で寝てるんだ?
俺は寮に入るのすらこいつの顔色を伺わなきゃいけないんだぞ!?

白洛因はお茶を注ぎ、顧海の前に置いた。
「どうかしたのか?」

彼は顧海がどうして自分を探してここに来たのかを話すかと思っていたが、顧海は答えることなく、ポケットから招待状を取り出した。その真っ赤な封筒を見た瞬間、白洛因の表情が固まった。

顧海は大事なことなのに、なんてことの無いような口調で言った。
「弟が明日結婚するんだ。兄さんなら来てくれるだろ?」

顧海は最後の手段としてそう言ったが、効果は抜群だったようだ。目の前の白洛因はいつもの雷のような顔もなりを潜め、激しい目で彼を挑発することも無く、ただ無表情で見つめていたが、それがいかに彼が傷ついたのかを表していた。

白洛因は目は死んだまま、口角を上げて、最後に嘘をついた。

「おめでとう。」

顧海は白洛因の傷ついた顔が見たかったのに、見ることが出来ても、達成感が全くないことに気づいた。白洛因が招待状を受け取った瞬間、とても居心地が悪かった。元々言うと決めていた台詞も、何も出てこなかった。

顧海はそのまま何も言わず、振り返って外へ出た。

刘冲は白洛因に興奮しながら尋ねた。
「隊長!顧さんは結婚するんですか!?」

白洛因は背を向けたまま頷いた。

「こんなに幸せが立て続けに起こるなんて、今日は本当に良い日ですね!」

第14話 感傷的な夜

顧海の会社の目の前にカフェがあり、闫雅静と顧海はそのお店にいた。

「お母さんの状態はどうだ?」

闫雅静は痩せ細り、以前のような光は目の中に無かった。

「ダメみたい。広がってて、治療で治る希望はもう無いってお医者様が。患者の苦しみを軽減させる為に、生活の質を上げてあげなさいって。ここ最近ずっと母の側で暮らしてたんだけど、まるで夢見たいだってとっても幸せそうにしてるの。きっともう自分の状態が分かってるのに、悲しそうに絶対しないの……。」

「もういい。後悔しないようにもお母さんの側にいてあげろ。」

闫雅静は強がって笑って見せた。
「昨日お母さんがね、一生のうちにお前の夫には会えないのかって言ったの。」

「急いで会わせてやんないとな。」
顧海は軽く答えた。

闫雅静は顧海のそのハンサムな顔を見て、2人が共に歩いた数年間を思い出していた。最初は小さな会社が、現在の規模まで広がる中、彼女は求婚者が後を絶たない女性から、残り物の女性になっていた。瞬く間に3、4年経ち、彼女は両親の為にも、プライドを捨て、死ぬ前の願いを叶えようと決めた。

しかし顧海は、この言葉が意味するものが何かを理解していなかった。

たまに出てくる曖昧な言葉が意味することを。

「狄双が副社長ですって?しかも社長室で働かせてるらしいわね?」

闫雅静が静かに尋ねると、顧海は窓の外に向けていた視線を戻して、軽く答えた。

「あぁ。」

「あなた……。」
闫雅静は言いたいことがあったが、言うのを躊躇った。

顧海の視線が再び窓の外へと戻った。


白洛因は車のドアの前に立ち、誰かに電話をかけているようだった。顧海は自分の携帯が鳴ることを望んだが、ポケットの中に静かに収まっているだけだった。



しばらくして、狄双が会社から出てきた。

「今日はどうしたの?電話して直ぐに来れるなんて……。」
狄双は恥ずかしそうに襟に顔の半分を隠していた。白洛因は優しく弧を描いた目で軽く答えた。
「暇な訳じゃ無いんだが、同僚が数日後退院するからそのついでにな。」

「ご飯食べに行きましょう。」
狄双が言うと、白洛因は悲しそうにした。
「まだ仕事が残ってるから直ぐに帰らなきゃいけないんだ。」

狄双は手を擦り合わせた。
「でもここは寒すぎるわ。」

そう言うと顔を上げて目の前のカフェを見て、目を輝かせた。
「あそこで少しだけ話しましょう?」

実際、狄双は顧海が今朝そのカフェに行くと言う話を聞いていたので、意図的にその店を選んでいた。

白洛因は頷き、「行こう。」と答えた。



2人はただ座って、白洛因は時折隣に座っている闫雅静を見ていた。2人の目が合い、数秒間固まると、白洛因が先に手を振った。顧海は口角を上げた後、なんてことないように目を逸らして、テーブルで話しながら笑っていた。

闫雅静は少し驚いた表情で顧海を見た。
「狄双と一緒にいるのはあなたのお兄さんよね?」

顧海は冷静に頷いた。

狄双は突然カバンの中を探って、そこから手袋を取り出すと、白洛因に渡した。

「自分で編んだの。全然休みがないから編むのが大変だったわ!つけてみて、きっと似合うから!」

狄双は意図的にまるでわざと誰かに聞かせたいかのように、声を大きくしてそう言った。

白洛因は手袋を取り、誰かの痛い視線を受けながら、1つずつ手に着けた。手袋は少し小さく、とても厚いので片手につけてしまえば、もう片手着ける事は出来ない。長いこと頑張ったが、自力で着ける事が出来なかったので、着けて貰うために手を差し伸べた。

「ふふふ……」
狄双は頬を赤く染めながら微笑んだ。
「少し小さすぎたかしら?」

白洛因は寛大に微笑んだ。
「大丈夫だよ。そのうち馴染むさ。」

「ずーっと、着けてね!」

狄双は意図的に声を大きくして言ったが、白洛因は黙ったままだった。

狄双は白洛因が何も言わないのを見て、赤い顔を白くさせて彼の隣に座り、ささやいた。
「社長がいるから、うんって言って。」

「あいつの前だから?」
白洛因は疑問に思った。
ーなんでそんな指示をされなきゃいけないんだ?

狄双は近づいて、白洛因の耳元で言った。
「諦めて欲しいの。」

白洛因は顧海をちらっと見ると、氷の様な視線を感じて緊張が走った。狄双は顧海に何を諦めて欲しいのかと考えていると、狄双は言葉をつけたした。
「あなたの弟が私の事を好きみたいなの。」

この言葉は白洛因を驚かせた。
顧海が彼女を?

感情を落ち着かせて、その整った顔に笑顔を浮かべた。
「考えすぎだろ?あいつは彼女と座ってるんだろ?」

「誰!?」
狄双は声を荒らげた。
「あの人は本当に私にそう言う感情を抱いてるの!2人は会社でずっと一緒にいるけど、そんな噂聞いたことも無いわ!しかも2人は全く恋人同士みたいじゃないし、社員は誰も2人が恋人だと思って無いわよ。」

白洛因は突然何かに気づいて、頭を振ると、顧海が真っ直ぐこっちを見ていた。

闫雅静もこっちに顔を向けて、静かに微笑んだ。
「狄双が羨ましいわ。」

「あれが羨ましいって?」
顧海の顔は冷たい氷で覆われている様だった。

闫雅静は意味深に顧海の事を見つめた。
「あんなに大胆に好意を伝えられるなんて、私には出来ないもの。」

顧海は冷笑した。
「お前はあの子よりも幸せなんだから、羨む必要なんて無いだろ!あの子は他人に物を贈っただけだろ?それなら今日は俺がお前にプレゼントしてやるよ。」
そう言うと指から指輪を外した。
「これは9年間着け続けてたやつなんだ。でも今日、お前にやるよ。」

闫雅静は驚いて顧海を見た。

顧海は冗談を言うつもりは無く、真っ直ぐ手を伸ばし、闫雅静の指に指輪を着けた。

白洛因は心の中で戦闘機に乗っていた。45度から90度へと角度を急変して、地面に激突し、粉々になった。

彼は狄双に顔を向けたが、声を聞いて感情が消えた。

「ほら、もう羨む必要なんて無いだろ?」



夜に軍に戻っても、白洛因は研究を続けるつもりは無く、就寝前に各寮の視察へと向かった。現在入隊している新規兵は90人程で誰もが高学歴である。実家では甘やかされて育ち、軍は罰則を禁止した為、規則管理は以前よりも厳しくなった。真面目な新規兵も居るが、しかしここに来て日が浅く、慣れていないこともあり、白洛因は頭を悩ませていた。

遠くない所に2つの影を見つけたが、足音を聞いて瞬時に西へ逃げてしまった。

白洛因は急いで追いかけ、数秒後には腕を片手で拘束し、彼の職場へと連れて行った。

「どの寮の何班だ?」

2人が白洛因の冷たい目を見た時、怖くて足が震え、報告することも出来なかった。

「何をしてたんだ?」

そのうちの1人は怖がりながらタバコをポケットから取り出し、白洛因に差し出した。
「……隊長もタバコを吸われますか?」

白洛因はこのように罰則から逃げようと、自分の罪を認めない人間を最も軽蔑していた。実は見つけた瞬間、白洛因は彼らが何をしたのかは知っていたので、尋問は態度を見る為に過ぎなかった。

「なんで2人は隠れてタバコを吸ってたんだ?」

白洛因が再度尋ねると、この子供は同じように言い訳をして誤魔化そうとした。
「違います!これは貰った物で、ただポケットに入れていただけで吸ってません!」

白洛因が静かに立ち上がると、2人の怯える視線の下、タバコの吸殻を灰皿からコップに注ぎ、混ぜて2人の前に差し出した。

「飲み干せ。」

1人の兵士の目に恐怖が広がった。
「それは罰則ですよ!」

「好きに訴えろよ。」
白洛因の声は低く、沈んでいた。

恐怖に怯えた兵士が懇願し始めた。
「隊長、本当に吸ってないんです。部屋に居るのもつまらなくて、風に当たりながら話していただけです!本当にこれを飲んでもいいんですか?見てて罪悪感が生まれますよ!」

「それを飲むか、除隊されるか。自分で選べ。」

それ以来、2人は完全に禁煙した。



白洛因は朝2時まで働き続け、スマホを見てみるともう日付を越えていた。不眠症になったのか眠ることが出来ず、ベッドに身を投げても身体は休みたがっているのに、頭は休もうとしてくれない。

電話が鳴り、白洛因は習慣的にベッドから起き上がり、緊急の仕事かと思えば、電話をかけてきたのは顧海だと分かった。

突然心が沈んだが、まだ受け入れられる程度だった。

「白洛因、8年間俺の事を考えたことがあったか?」

白洛因は毛布を強く握り込んだ。夜は静か過ぎて嘘をつくことも出来なかった。

「………ずっと、考えてたよ。」

しばらくお互い何も言わなかったが、突然話した。
「8年前の今日、サンザシ飴で喧嘩したことを思い出して後悔したんだ。あれが最後の言葉になるなら、お前にあんなこと言わなかったのに……。」

第13話 エスカレートする争い

顧海は会社から出て、駐車場へ向かおうとしていると、白洛因の車を見つけた。

あいつ……

顧海は少し嬉しかったが、それを顔に出すことなく、笑顔を見せない社長のイメージを保とうとして、その顔のまま、白洛因を探しに歩いた。

しかし、その光景を見て顧海の顔が麻痺した。

会社の前は厳しい警備をしているにも関わらず、女性社員は楽しげに男と話していた。しかし重要なのはそこではなく、この男が白洛因であることだ。しかもその女性は最近恋をしていると噂の社員だった。

顧海が一歩一歩近づいてくると、2人の会話が止まった。

狄双は振り返って顧海を見たが、パニックになること無く、むしろ興奮して話しかけた。
「顧社長!私の彼氏の白洛因です。紹介せずとも知ってますよね?最近協力したプロジェクトの責任者です。私と彼が恋に落ちても、これは規則違反ではないですよね?」

顧海は終始白洛因を見ていたが、その視線はオフィスビルの地面まで破壊するほどだった。

「本当なのか?」

「お前は何を言ってるんだ?」
白洛因の暗い目が顧海をちらりと見た。
「俺がお前に嘘をついたことがあるか?」

顧海は突然一歩踏み出して、白洛因の目の前に立つと、鋭い視線が白洛因の顔をナイフのように刺した。喉の奥から無理やり言葉が押し出された。

「お前……死にたいのか……?」

白洛因は顧海の肩を掴んで距離を保つと、悪い笑顔を見せた。

「お前の為なんだぞ?だからもう兄の心配を1日中する必要は無い。安心して仕事に集中出来るだろ?お前が羨ましいよ。社長であるお前以外みんな美しい女性なんだから、選び放題じゃないか。」

そう言うと顧海の目の前で、狄双の手を引いた。
「お前の義姉になるんだ。会社でも面倒を見てやってくれよ。」

狄双は恥ずかしそうに顧海を見た。
「社長、すみません……。」

顧海は2人の手を無理やり引き離したので、狄双は痛みで顔を歪ませた。その姿を見て、白洛因の表情が突然変わった。

「顧海、自分が言ったことぐらい責任を持てよ!」

顧海は暗いままの顔で、一文一文区切って話した。
「なんの責任があるんだか知らねぇが、心の痛みは分かるよ!」

白洛因は苦笑いした。
「心の痛み?そんなものがあるのか?顧社長、おかしくなっちゃったんですか?振り返って自分がどこに立ってるのか見てみろ!お前は権力があるが、誰かの夫なのか!?誰かの父親なのか!?そうじゃなきゃそんなこと言う資格なんてねぇよ!!」

顧海は怒り、車の屋根に白洛因の頭を押し付けた。

「白洛因、お前はクソ野郎だな!!心も捨てたのか!!」

白洛因は激しく抵抗したが、再び顧海に押されたので怒鳴った。
「あぁクソ野郎だよ。お前が8年で俺をクソ野郎にしたんだ!何を言われたって傷つかねぇよ!」

2人は会社の前で口論をし、女性はただそこに立っているだけだった。片方は彼氏で、片方は片思いしていた社長。しかし、狄双は前者を迷いなく選んだ。しかし力が弱すぎて立っていることも出来ず、3メートル離れた場所に投げ飛ばされてしまった。

狄双の泣き声を聞いて、白洛因は喧嘩を止めて狄双の元に行くと、そのまま車に乗せた。それから顧海の視線を受けたまま、去って行った。

心の痛みは、タイヤが回る度に強くなっていく。



次の日、狄双は会社に着くとそのまま社長室へと向かった。

女性社員は全員、鼻で笑うためにその姿を眺めている。

「顧社長。」

顧海は顔を上げ、狄双をちらりと見ると、その目はいつも通りに戻っていた。

「どうした?」

狄双は顧海に退職届を提出した。
「私がもうここにいれないことは分かってます。社長に言われるよりも、自分から離れたいんです。社長、2年間もお世話になりました。この会社でたくさんの事を学べました。でも規則に縛られるのはもう嫌なんです。」

「誰がやめろと言ったんだ?」

顧海は退職届から瞼を持ち上げると、狄双は驚いていた。
「……だって昨日あんなに怒ってたのに、認めてくださるんですか?」

「もう俺はあなたの義理の姉なんだ。認めない理由がないだろ!」
顧海は語気を強めることなく、静かに話した。
「これはこれ、それはそれだ。仕事と私情は混ぜてはいけないだろ。2年間君の仕事を見てきたが、悪い点は何一つ無かった。今副社長の実家で問題が起こってしばらく戻って来れないんだ。彼女の仕事を引き継いで貰えるか?」

狄双は顧海の寛大さに心を打たれた。
私が片思いしていた男は、やっぱりただの男じゃなかったのね!

「よし、じゃあ荷物をまとめて持ってきなさい。」

狄双は嬉しそうに顧海を見た。
「荷物を?……どこに置けばいいんですか?」

「副社長室にはもし早く帰ってきたら片付けるのが面倒だし、ここに持ってきなさい。ここは広いし、ディスクは持ってこさせるから、向かいのオフィスでいいか?」

狄双は驚いて、開いた口が塞がらなかった。
「本当に?……そしたら私は……。」

女性社員の敵になっちゃうんじゃ?

「なんだ、不満か?」
顧海は冷笑した。
「不満なら仮眠室も君のものにしていいぞ。」

「そんなそんな!……とっても満足してますから!」

狄双は社長室から出ると、優越感を感じていた。
幸運過ぎない?
まず無敵の社長を味方につけて、しかも高待遇もしてもらって、周りの女性は全員自分に嫉妬している。

この話は直ぐに社内で急速に広まり、1番反応が遅かったのは当然小陶だった。

他の男と会ってた癖に、次は社長と?
あなたはただ虐められるのを待つだけよ!

翌日、狄双は好奇の目に晒されながら社長室に足を踏み入れると、晴れやかな気分だった。誰もが彼女が仕事を辞めることを期待していたのに、実際は前例がない程の高待遇を受けているのだ。しばらくの間、彼女の噂で持ち切りだった。

最近、顧海はずっと狄双を観察していた。

まず自分の仕事場で彼女が働くように手配し、隣に座って会議を行う。まるで秘書のようにどこにでも彼女を連れ出した。遂にはご飯を食べる時も、休憩時間も彼女を側に置いた。2人は朝も一緒に出社し、夜は一緒に会社を出て、次の日には顧海の運転手が狄双を職場まで送り届けた。



「ねぇ……狄双の何がいいの?なんで選ばれたの?」

「私が知ってる訳ないでしょ。しかももう恋愛辞めたのかと思ってあの子に聞いたら、まだ付き合ってるんだって。」

「本当に?一気に2人の男を?」

「私、こういう女が一番嫌いなの。」

「最低……」

狄双は無数の嫉妬と憎悪の目を向けられながら社長室へと入った。

ほぼ2週間達ち、最初の2日で虚栄心が満足して、それからはただ苦しいだけの日々だった。周りの評価は気にしてなかったが、1番辛かったのは常に監視された状態での莫大な仕事だった。顧海に監視されているせいで休むことも出来ず、彼の視線の下ひたすら働いていたので、勤務中に白洛因に連絡を取ることも出来なかった。

仕事が増えるにつれて、彼女の休息時間はますます少なくなった。毎晩家に帰ると眠くて仕方なく、白洛因に連絡を取りたいのに結局ベッドで眠ってしまう。



その後、遂に我慢が出来なくなった狄双は、トイレの個室で白洛因に助けを求めた。


その夜、顧海に説教の電話がかかってきた。

「義姉に休みをやれ!!」

白洛因がそう言うと、顧海は淡々と答えた。
「義理の姉だからといって休みを与えることは出来ない。お前があの日言ったことが深く心に刺さったんだ。感情的にならず、公私を分けなければならない。お前のおかげで目を覚ましたよ!」

電話を切ると、白洛因は血が出るほど唇を噛み締めた。


顧海はバスルームに向かって、冷たいシャワーを浴びた。



翌朝、狄双は昨日まで苦しんでいたのが嘘のように鮮やかな姿で出社し、満面の笑みで社長室へ足を踏み入れた。まるで "幸せ" と顔に書かれているかのように。

顧海は顔を上げて、狄双の首元に光るネックレスを見た。

ネックレスのデザインを見て、顧海は誰が贈ったものかがすぐに分かった。何年間も白洛因の趣味は変わっていない。

狄双は顧海がネックレスを見つめているのに気づき、頬を赤らめて恥ずかしそうに言った。
「社長のお兄様から頂いたんです。」

顧海が鼻を鳴らした。
「いつあいつに会ったんだ?」

「会ってません。彼は私の気分が落ちているのを聞いて、昨夜郵便受けにこのネックレスを入れてくれたんです。今朝それを見つけた時は飛び上がるほど喜びましたよ。軍人はロマンスも理解してるんですね……」

狄双はそう言うと先程よりも頬を赤らめた。言葉にならない幸せが溢れ出てしまっている。
……顧海の顔が突然狄双の視界に入った。

「もうすぐ年末になるし、今まで以上に忙しくなる。俺は既にここに2泊してるんだが、仕事が多すぎて終わらないんだ。だから、君も今日からここに泊まって仕事を手伝ってくれないか?」

狄双の顔が突然変わり、顧海の目に緊張が浮かんだ。この言葉を聞いて、彼女は遂に理解した。

「顧社長、あなたの事が好きだったことは認めます。でもそれはもう過去のことです。今、私は心の底から彼のことだけを愛してるんです。ことわざがあるでしょう?兄弟の妻を虐めてはいけないって。顧社長、あなたの気持ちは理解できます。でもごめんなさい……もう私の心はただ一人に奪われてるんです……。」

狄双の斜め上を行く思考回路に、顧海は絶句した。

第12話 情熱的な背の高い美女

三日後、白洛因は忙しい時間を割いて、お見合いへと向かった。それは白隊長がどれほどこのお見合いを重視しているかが見て取れる。

女の子は少し早くカフェに着き、窓側の席に座って時々外を眺めて緊張を和らげていた。軍用車両がゆっくりと視界に入り、女の子の心臓は飛び跳ねた。彼女は白洛因が軍人であることは事前に知っていたが、どんな人かまでは知らなかった……

運転手が車から降りるのに気づき、彼女が急いで目を向けると、至って普通の顔の人だった。少しがっかりしたが、別にイケメンだからと言って良い訳では無い。中身が重要なのであって、それを徐々に知っていけばいいだけの話だ。

女の子は外を見るのをやめた。

白洛因はカフェに入ると、座っている場所を事前に教えられていたので、すぐに見つけることが出来た。

「こんにちは、白洛因です。」

女の子は顔を上げたまま、しばらく固まった。

イケメンな軍人が突然目の前に現れたのだ。背は高く、申し分のないスタイル。男らしい顔で口角を僅かに上げる姿は、タフな優しさが溢れていた。さらにさっきまでは普通の人が来るのだとばかり思っていた為、それと比べて突然のイケメンの登場は、その魅力ん強調させていた。

女の子の心の中には体当たりされていると錯覚するほど、嬉しかった。

「こんにちは、狄双です。」
女の子は手を差し伸べた。

白洛因が女の子と丁寧に握手すると、その手は少し濡れていた。

二人はしばらく会話を弾ませたので、白洛因にとっての狄双の印象はとても良かった。全てを受け止めて、自分の意見もしっかり話す彼女の姿は、とても賢く見えた。狄双にとっての白洛因はそれ以上に良く、イケメンなだけではなく、しっかりと話してくれる。簡潔に話しているうちに出ている手振りは、たまらない魅力を放っていた。

「お見合いするの初めてなんです。」
狄双は笑顔でそう言った。
「本当は来るのを拒んでたんですけど、今日は来て良かったです。」

自分への好意を露骨に表現する狄双の姿を見ても、白洛因は動か無かった。狄双に事情を話さなければならないからだ。

「自分は軍から出ることは出来ないので、本当に交際したとすれば、辛い思いを沢山させてしまうかも知れません。」

狄双は笑顔で頷いた。彼女はずっと前から白洛因に夢中になっているので、何を話しているのかなんて理解出来ていない。

「仕事が忙しいから、少なくとも数週間、長ければ数ヶ月会うことも出来ないかも知れませんよ?」

狄双は笑顔のままだ。
「大丈夫ですよ。いつまででも待てますから。」

「危ない仕事をしていますし、任務によっては命を落とすかも知れません。」

「分かってます。口は挟まず、応援していますから。」

白洛因は額を抑えた。
「私たちは合ってないかもしれない……」

狄双の笑顔が遂に消えた。
「どうしてです?」

「率直に言って、あなたが優しすぎるから、我慢をさせられないんです。もし結婚したとしても、自分は家に帰ることも無く働いて、あなたに家庭の暖かさを与えることも出来ないし……」

「あなたが思ってるほど、私はいい人じゃないですよ。」
狄双が白洛因の言葉を遮った。

「あなたに出会うまで、社長に片思いしていたんです。」

「え?」
白洛因が僅かに眉をひそめると、狄双は慌てて説明した。
「違います!ただ、あなたが思ってるよりもいい人じゃないと言いたいだけなんです。私にだって悪い条件はあります。あなたに自由が無いように、私にも無いんです。あなたが軍から出られないように、私もデートは会社で禁止されてるんです。」

「そんな規則が?」
白洛因は疑問に思った。
「……どのようなお仕事を?」

「科学会社の財務部で会計士をしています。」

「会計士だから恋愛が禁止されてるんですか?」

狄双の赤い唇が、丸く弧を描いた。
「会計士だから恋愛が禁止な訳ではなく、社員全員が禁止されてるんです。どうしても恋愛がしたいなら、上の承認を得なければならいんです。結婚するなら取引先とだけで……恋愛がバレれば解雇されます。」

「そんな……厳しすぎませんか?」
白洛因がこんな規則について聞いたのはこれが初めてだった。

狄双は頷いた。
「お互いに問題を抱えているのであれば、上手く行くと思うんです。」

それでも白洛因は厳しく言った。
「あなたが本当に彼女になってくれるのなら真剣に考えます。あなたとならどんな短い時間でも、楽しく会話出来ると思う。でも、申し訳ないけど彼女には出来ません。」

狄双は悲しそうか顔で外を眺めていたが、突然何かを思いついた。

「上司にお願いしてみます!私は軍事企業で働いていて、あなたは軍人だから、条件は満たしてます!私たちが付き合えばそれはお互いの利益になりますし、社長も絶対許可してくれるはずです。」

白洛因は目を細めて、恐る恐る尋ねた。
「会社の名前を伺ってもいいですか?」

「北京海因科学株式会社です!」
狄双は誇らしげにそう答えた。

狄双は白洛因が何も答えず、突然顔色が変わったのを見て、自分の会社に偏見を持っているのだと勘違いし、急いで説明した。
「当社はちゃんと経営されていますし、確かに社長は女性社員しか雇いませんが、それでも変な仕事を受け持っている訳ではないですよ。」

説明しなくたって分かってるよ……。

白洛因の顔が暗くなっていくのを見て、狄双の心が冷たくなった。

「白洛因さん、変なことを言っていると思うかもしれませんが、私にとってあなたは条件が揃ってるんです。でも条件が合っているから彼女になりたい訳じゃないんです。北京の中で条件が合う女性がいるのは、私たちの会社だけだと思うんです。あなたのような人が沢山いて、しかももっといい条件だったとしても、若くて美しく、文化的で、家事の出来る女性を選ぶと思います。私の会社に一歩入れば、そんな女性なんて沢山居ます。」

白洛因は複雑そうに笑った。
「あなたの話を聞いていると、あなたの会社は玉の輿に乗れる女性を育てているように聞こえますよ?」

「そうかも知れませんけど!」
狄双は何がなんでも白洛因の偏見を取り除きたかった。
「でも、私たちの会社の女性はちゃんと結婚してますし、しかも長男としか結婚しません!」

白洛因は狄双を面白がっていた。

狄双は白洛因の笑顔を見て、気分が戻り、声も柔らかくなった。

「もしかしたら、私と一緒になるよりも、他の女性と一緒になる方があなたには合ってるかも知れませんね。見た目が違うだけで、中身はほとんど一緒ですし、良ければうちの社員に会ってみませんか?」

白洛因はもう何も言えなかった。


初対面にしては、二人は楽しげに会話を弾ませることが出来た。狄双は午後の仕事に戻らなければいけない為、白洛因は運転手に狄双を会社まで送るように頼んだ。会社について狄双が車から降りた時、狄双は花のような笑顔を咲かせていた。

二人の姿をたまたま小陶が目撃していた。

小陶は噂を広めようと目を凝らしてみると、男が白洛因である事が分かった。彼女は白洛因の事を覚えていたのに加え、年次総会の時に魅了されていた。それに交渉もしていた為、白洛因の印象は冷たく、近寄り難い人だった。そんな印象を持っていたので、白洛因が狄双をエスコートしている姿を見て、とてもショックを受けていた。

小陶は急いで狄双の事を追って、一緒のエレベーターに乗り込んだ。

「ねぇ、あの男の人は?」
小陶が故意に尋ねると、狄双は頬を赤く染めて答えた。
「私の彼氏なの。」

小陶はそれを聞いて不快に感じた。彼に興味があった訳では無いが、何故か嫉妬している。
この子と私になんの違いがあるの?
どうやってあのイケメンを落としたの?


その後、この話は会社中に広まった。


この時期はとても忙しく、それに加えて闫雅静が居ないこともあり、顧海は周りを気にする余裕がなかった。

しかし、小陶は狄双の嬉しそうな姿を見て我慢ならず、仕事の報告をする機会を利用して顧海に話した。

「顧社長、小陶が恋をしているのを聞きましたか?」

顧海は無表情で頷いた。
「少しな。」

「それならなんでなにも言わないんですか?彼女は会社の規則を破っているのに罰則が無いだなんて、今後規則を誰も守らなくなりますよ?」

顧海は小陶をちらっと見た。
「ちゃんと証拠が見つかれば対処する。」

「この目で見たんです!」

小陶がそう口走ると、顧海は冷たく鼻を鳴らした。

「お前が見たところでそれが証拠になるのか?」

小陶は恥ずかしそうに何も言わなかった。

「会社の為にも目を使うんじゃなく、口を使ってくれ。」

そう言われると、小陶には反論する勇気も無くなった。

小陶が去った後、顧海は社長室の椅子に寄りかかり、目を細めた。天井の模様を見て、どういう訳か白洛因の口元を思い出した。数日前に会社の前で話してから、何日も連絡がない。

他にも、顧海の心を揺らす原因はあった。

顧海は自分の胸に手を当てて、大丈夫だと自分に言い聞かせた。

狄双に関する噂は金曜日にもなると消えた。

白洛因は刘冲の見舞いに病院に行った帰り、彼女に会うために顧海の会社へと向かった。

白洛因はたまたま仕事が終わったから来たのであって、わざと合わせた訳ではなかったが、顧海の会社もちょうど仕事が終わる時間だった。

狄双は会社から出てくる社員の視線に晒されながら、白洛因の腕の中へと飛び込んだ。

特に白洛因は周りから見られているのに、このような光景を見せた為、より注目を集めた。

その瞬間、会社の前がざわついた。

第11話 結婚への道

姜圆は顧威霆と七年間共に軍事施設に住んでいる。そのうち白洛因がこの家に訪れたのは数えられるほどしか無い。時々姜圆は息子を恋しく思い、夫の権力を使って白洛因のいる基地に行き、訓練を受ける息子の姿を見ていたので、ここ何年間かは姜圆の方が白漢旗よりも多く白洛因と会っていた。

春節が近づくと、一定期間は休暇を受けることが出来るので、姜圆はいても立っても居られなかった。



白洛因は最近おかしくなるほど働いていた。毎日の体力訓練と能力訓練に加えて、定期視察を行い、残りの時間は研究室で過ごす日々。特別任務があれば、時間を割いて向かった。一日五時間も眠れず、食べながら眠ってしまう程疲れていた。



姜圆が白洛因に会いに行った時、白洛因は莫大な資料と睨めっこしていた。

「小白、母さんが来てるぞ。」
部屋に入ってきたばかりのエンジニアが笑顔で白洛因に言った。

白洛因は眠そうな目でドアを見ると、彼の隣に立つ助手に怠そうに言った。
「俺はとても忙しいから帰ってくれと伝えてくれ。」

しばらくして助手が戻ってきた。
「隊長、ご報告します。とても大事な話があるから十分だけでもと言ってお母様は去っていきました。」

白洛因はちょうど仕事も区切りのいい所だった為、立ち上がって外に出た。

車の中で座っていた姜圆は、歩いてくる白洛因の姿を見て降りようとすると、白洛因に降りるなとジェスチャーをされたので、大人しく車の中で話すことにした。

「ちょっと、なんて酷い顔色なの!そんなに忙しいの?」

白洛因はタバコに火をつけて軽く言った。
「何年も前の仕事が今手元に溜まってるんだ。正月中も軍で過ごすからもう会いに来るなよ。」

姜圆は苦しそうに白洛因を見た。
「お母さん、あなたがろくに食べれてないんだろうと思ってサプリを沢山持ってきたの。トランクに入れてあるから忘れず持って帰りなさいね。」

白洛因は姜圆を睨みつけた。
「サプリを渡すためだけに来たのか?」

「そんな訳ないじゃない。」
姜圆は白洛因の手を取り、それを自分の手のひらに重ねた。
「二日前に同級生に会ってね、張阿って覚えてるかしら?張阿に娘が生まれたらしくて、国際ビジネス経済大学の大学院生なんですって。卒業してたった二年で月給は十万円越えらしいの……」

白洛因はこれを聞いて気分が沈んだ。
「何が言いたいんだ?」

「あなたももう二十六なんだからいつまでも独身な訳にいかないでしょう?後から焦ったって、もう女の子はあなたに見向きもしなくなるわよ!もう軍に八年もいるんだし、色々安定してきたでしょう。そしたら結婚を考えるべきじゃない?」

白洛因は姜圆の手を撫でた。
「俺は本当に忙しいんだ!」

姜圆は白洛因が降りようとしているのを必死に引き止めて、掴んだ手を話さなかった。

「因子、本当にいい子なの。とっても綺麗だったわ。彼女のお父さんもあと二年で定年だけど公務員だし、中学校の校長先生なのよ!こんなにいい条件ないじゃない!」

白洛因は不機嫌な顔を見せた。
「校長の娘だろうが興味はない!」

「じゃあいつまで待てばいいの?」
姜圆も急いでいる。
「あなたはもう二十六だし、小海も彼女が出来たって言うのに、いつまで待たせるの?周りはどんどん結婚していくのに、あなたはただ見ているだけだなんて……お見合いはそんなに恥ずかしいこと?」

姜圆が顧海の名前を出したのは、八年間でこれが初めてだった。白洛因の前では出さないようにしていた名前だったが、彼女も焦って出てしまった。

「何が恥ずかしいって?」
白洛因は冷たく感じるほどの笑顔を見せた。
「どうせ十七、十八の綺麗な女性だって歳を取れば皺だらけになって醜くなるんだ。そんなのの前で一日中過ごす趣味は俺には無いんだ。」

「あなた……!!」
姜圆は息子の言葉に怒りを覚えた。

「十分だ。」
白洛因はそう冷たく言い捨てて車から降りた。



研究室に戻ると、ちょうど助手がカバンを待って出かけようとしている所だった。

「どこ行くんだ?」

白洛因が尋ねると、助手は敬礼した後に、真面目な顔で答えた。
「契約書に署名をして頂くために北京海因科学会社へ行くところです。」

「そうか、分かった。俺が変わりに行く。」

白洛因はカバンを取ろうと手を差し伸べたが、助手は不安そうにカバンを強く握り締めた。

「そんな!隊長、自分に行かせてください。お忙しいのにこんな些細なことで煩わせたく無いんです。」

白洛因はこの子供がなにか隠していると気づいた。どのエンジニアが参加しているのかは知らないが、軍隊での資格が欲しいからと簡単に署名したのだろう。自分はこのプロジェクトの責任者であり、彼が向かおうとしているのは大切な取引先なのだ。

「いや、俺に行かせてくれ。どうせ刘冲の病院に行く予定だったからその次いでだ。お前はパソコンに入ってるデータを統合してくれ。少し厄介だから頭のいいお前に任せたいんだ。」

助手は何も答えなかった。

白洛因は軽く咳をして、語気を強めた。
「何か異論はあるか?」

助手はすぐに姿勢を正した。
「いえ!何もありません!」

「そうか、じゃあよろしくな!」
白洛因は微笑み、覚えた様子の助手の頭を撫でた。



闫雅静は家で問題が発生し、一週間の休暇を取っていた為、顧海の仕事はいつも以上に忙しかった。先日までは感じなかったが、ここ最近は毎日残業していて、顧海は闫雅静の偉大さを感じていた。

午後の会議が終わると、闫雅静から顧海に電話があった。

「顧社長、もうそろそろ戻ります。」

顧海はやっと帰ってくると、密かに安堵のため息をついた。

「近くに居るから、少し会えない?」

顧海は闫雅静の口調がいつもと違うように感じて、僅かに眉を上げた。

「何かあったのか?」

その言葉を聞いて、突然闫雅静の声が詰まった。

「顧海、降りてこれる?会社のドアにいるんだけど入れないの。あなたと少し話したら、またすぐ青島に戻るから。」

「分かった。待ってろ。すぐ降りる。」

顧海が走ってドアまで行くと、闫雅静が赤い目で立っているのを見つけた。ほんの数日で別人の様になった闫雅静を見て、なにかが起こったのだと悟った。

「どうしたんだ?」

闫雅静は顧海に抱きついて、顧海の胸に頭を押し付けると、涙が零れ落ちた。

「お母さんが肺がんになったの……もう後半年しか生きられないってお医者さんが……うぅっ……」

顧海の表情が固くなった。
「大丈夫だ。治療の為にお母さんを海外に送らなくても、何人か海外の内科医専門の医者を知ってる。すぐに連絡してやるから。」

闫雅静は返事を返さずに泣き続けた。



白洛因の車が会社に着き、車から降りると、遠く離れた場所で抱き合っている二人の姿を見つけた。白洛因は心が苦しくなった。長い間こうなるべきだと望んでいたとしても、想像することと、実際見ることでは全くの別物だった。

顧海は闫雅静の肩を優しく叩いていると、後ろから当然声が聞こえた。

「会社の前で何をしてるんだ?社長だと言うのにまるで注意を払ってないんだな。」

顧海の腕が固まり、後ろを振り向くと、白洛因は腕を組んで車のドアに寄りかかり、面白そうに二人の姿を眺めていた。
「何しに来たんだ?」
顧海は闫雅静から離れ、白洛因のに向かって歩き、尋ねた。

白洛因は契約書を顧海に渡した。
「署名を。」

「それなら後でお前の職場まで行くから、その時ゆっくり話そう。」

「今ここで書けよ。話す暇なんてお互い無いだろ。」
そう言うと、顧海にペンを渡した。

闫雅静がいなければ、顧海は白洛因について行ったが、今は隣で泣いてる人がいる為、顧海は断ることが出来なかった。

署名後、白洛因に契約書を渡すと、車の窓に手を置いて静かに尋ねた。
「俺たちを見て嫉妬したか?」

「なにに嫉妬するんだ?」

顧海は悪意を含ませながら口角を上げた。
「教えてやるよ。この美しいうちの女性社員はな、俺の兄がいつまでもいつまでも独身でいるのを哀れんで泣いてるんだ!弟としても我慢ならないよ!」

白洛因は顧海に殺意を向けたが、顧海が挑発して自分を怒らせたいだけだと分かっていた為、反撃しなかった。



帰り道、白洛因は契約書に署名されている顧海の文字を見た。自分と全く同じ字体のその文字はまるで自分が書いたかの様だった。

なにに努力してんだよ!



白洛因は助手に契約書を渡すと、電話をかけた。

「どうしたの?」

姜圆の声が聞こえると、白洛因は深呼吸した。
「女の子の連絡先を教えろ!」

姜圆は憂鬱そうな声だったが、これを聞いた途端、気分が上がった。

「本当に?彼女に会うの?良かったわ!!すぐに送るわね。もし連絡するのが恥ずかしければ、いつでもお母さんが仲介人になるからね!」

電話を切ると、姜圆は興奮して顧威霆を呼び出した。

「顧さん、洛因の上司に連絡して、あの子に一日休暇をあげてちょうだい!」

顧威霆は少し不機嫌そうな顔をした。
「軍だって暇じゃないんだぞ?報告書を死ぬほど書かなきゃいけないんだ。理解出来ないなら首を突っ込むな。」

姜圆の情熱は覚めなかった。
「洛因がやっとお見合いをするって言ったの!!」

しばらく黙っていたが、顧威霆が先に折れた。
「……手配しておくから、気にするな。」

電話を切った後も、姜圆は嬉しくて口が塞がらなかった。