第178話 四文字の意味
ドアは警告無しに開かれた。
顧洋はノックをしていたが、誰もそれに気づかなかったのだ。
廊下を通ると、奥から怒鳴り合う声が聞こえて、中に入ってみると、部屋は無法地帯のようだった。2人の男が絨毯を引き裂き、一人は顔を真っ赤にし、もう一人は喘いでいた。横には壊れたベルトが放り投げられており、男の手はもう一方の男の腰を固定していた。その姿を顧洋は見てしまっていた。
白洛因が先に2人の前に座っている背の高い男の存在に気がついた。
その顔は肌寒さを纏っていた。
雰囲気は既に戦争のようだったが、顧洋が来たことにより、冷戦となった。
「俺のことは無視して続けろ」
顧洋はまるで何も見ていないとでも言うように雑誌を開き始めたが、顧海は顧洋の存在が迷惑でしかたなかった。
「出てけ!」
「出てく必要ないだろ?」
顧洋は顔を上げて顧海の顔を見て笑った。
「お前らの通話も聞いたんだ。それが映像付きになっただけだろ?」
白洛因は顔色を変えて、疑問だらけで焦点を失った目は、顧海に辿り着いた。
その場の雰囲気は途端に暴力的に変わった。
白洛因は顧海が考え込んでいる時間を利用して、顧海の脚を蹴り、ズボンを履いてトイレへ逃げた。顧海はそのままそこで動けず、白洛因の背中を目で追っていた。実際、白洛因に蹴られたところでそこで捕まえることも出来たのに、それが出来ないくらい放心していた。
たくさんの感情が顧海の中で渦巻いて、どう処理すればいいのかわからない。
顧洋は雑誌を捲りながら、顧海が何も言わないので、顧海の顔を見ていた。2人はまだ喧嘩を続けたかったのに、こうして顧洋が来ることによって戦争は終わり、2人に幸福をもたらした。
「喧嘩か?」
顧洋はなんてことないように尋ねた。
白洛因がバスルームのドアを開けたのを知った上で、顧海は答えた。
「俺たちは話し合ってるんだ。」
白洛因は無視して寝室に向かった。
顧海はもっと大きな声を張り上げて言った。
「お前のものがどこにあるか分からないくらいに隠してやるからな!」
その顔は悲しいだけでなく、そんな言葉では表しきれないくらいに暗かった。
顧洋は雑誌を置いて、顧海のその表情を楽しんだ。
白洛因はどんな方法を使って、顧海を3、4歳の子供のようにしたんだ?
顧海が凹んでいる姿を見るのはとても面白く、表情筋がピクピクするのを抑えきれなかった。
しばらくして、顧海がやっと顧洋の存在を認識したようだった。
「なんでいるんだ?」
「飯。」
顧洋は軽く言った。
「この間作ってくれただろ。あれ美味しかったから食べに来たんだ。」
顧海は今がご飯を食べる時間だと気づいた。
「兄さんの家に行く」
顧海は起き上がったが、顧洋は驚いた。
「なんでだ?」
「飯を作ればいいんだろ?」
「ここじゃダメか?」
顧海は意図的に声量を上げた。
「ここで3人で食べるわけにいかないだろ!」
その後、台所に向かうと、白洛因が置いてあったインスタント麺を取り出しているのを見つけた。
「いかないのか?」
白洛因はお腹が空いていたので顧海のことを無視して、皿を出した。
顧海はドアに手をついて、だるそうに話した。
「行かないなら勝手に行くぞ。今日は兄さんの所に泊まるから帰らない。せいぜい何が起こるか妄想でもしてろ」
白洛因はそのインスタント麺を完成させ、スープを飲み、顧海は酒を飲むと直ぐに出ていった。
高級ホテルのボックスで、顧洋が顧海をからかった。
「誰かさんは俺に飯を作ってくれるって言ってたはずなんだが?」
顧海は目を細めた。
「金は払うからいくら食べても構わない。」
「お前の目には白洛因が間違って見えてるのか?彼への要求が多すぎるだろ。」
「あいつは間違ってる!」
顧海がテーブルを叩きつけると、皿のスープがこぼれ落ちた。
顧洋の目は突然冷たくなった。
「お前はいい加減我慢を覚えろ!」
1時間後、顧海は瞳に宿っていた炎を完全に消し、テーブルの上に並ぶ美味しそうな料理を見ると、白洛因が食べていたインスタント麺を思い出していた。
午後、顧海は学校に行かなかった。
顧洋は中国に来たばかりでまだ慣れていなかったため、あまり外に出なかった。顧洋の友人にも帰国を伝えていなかったため、ずっと家の中にいた。
ある日の午後、顧洋が振り返って顧海を見ると、その魂はさまよっているようだった。
彼がただ歩いているなら見ているだけだが、実際はそんなに正直ではない。顧洋の書斎の壁には、2日前に買ったばかりの有名な絵が飾られていたが、どういう訳か顧洋は顧海を怒らせてしまい、その何十万もする絵は顧海の足元に折りたたまれていた。
「叔父さんはお前を数年間軍に入れたが、それは間違っていたようだな!」
子供の頃は顧海と顧洋にだけ分かる共通言語を話していたが、今では彼の言葉は全く耳に届いていなかった。
夕食中、顧海は顧洋を困らせるために皮肉を言った。
「帰らないのか?」
顧海は顧洋を見て、硬い声で言った。
「誰が帰りたいって?」
兄弟の元に帰りたいんじゃないのか?
顧洋は心の中で言ったが、最低でも明日の夜までは居座るんだと理解した。
夜になると、顧海はいつもよりも早くベッドに横になった。
頭の中はまるで自分が見たかのように、白洛因が尤其を抱きしめている映像が流れていた。それがただ憎しみに感じるだけならいいものの、顧海はまだ白洛因のことを考えていた。2種類の気持ちが心の中で混在していたが、顧海は考えるのをやめて、呼吸を放棄した。
12時になり、顧洋が家の灯りを消していると、外から包丁の音がした。
急いで服を着て見に行くと、顧海がキッチンで肉を切り刻んでいる音だった。
「なにしてるんだ?」
顧洋が冷静に聞くと、顧海は僅かに微笑んだ。
「兄さんの為に飯を作ってるんだ。今日約束しただろ?」
「は!?今何時だと思ってるんだよ!」
いつもは優しく穏やかに受け入れられる顧洋でも、今は怒らざるを得なかった。
顧海は彼を無視して、手元の作業に集中した。
顧洋が何も言えなくなっていると、顧威霆からの電話が鳴った。
「叔父さん、どうしたんですか?」
「まだ寝てないのか。」
顧威霆の声が元気そうなのを確認すると、顧洋は安堵のため息をついた。
「今寝ようとしていたところです。」
あなたの息子がこんなことしてなければ、俺は今頃寝てたけどな!
「そっちに行ってもいいか?」
「もう向かってるんですか?」
しばらく沈黙があった。
「ここの所忙しかったんだが、お前に会えるぐらいの時間が出来たんだよ。でも寝るならまた別の日に行くさ。」
「叔父さん、寝るのなんて後でも大丈夫なので来てください。」
顧洋はチラリと台所を見て、顧海の指がまだ繋がっていることを確認すると、顧威霆に向かって話した。
「偶然、顧海も来ているんです。」
「一緒にいるのか?」
顧洋は「是非あなたの素晴らしい息子の姿も見ていってください!」と言った。
顧洋は電話を切り、台所に行くと顧海の姿はなく、まな板の肉はスープになっていた。振り返り、顧海が過ごしていた部屋に向かえば、彼はスマホを弄っていた。
「お前のお父さん来るぞ。」
顧洋は思い出したかのように言った。
顧海は聞いてないような顔をして、スマホを置き、トイレに行った。
「家に帰る。」
顧洋はバスルームのドアにもたれながら、顧海がなぜ突然そんなことを言い出したのかと考えていると、水の零れ落ちた音が聞こえて、それはまるで自分の不安を表しているようだった。
「なんで急に?」
顧海の歪んだ顔が、顧洋の前に存在していた。
「あいつが恋しくなったから」
……少なくとも明日の朝までは帰らないって言ってたじゃないか!
顧海が出て行ってしばらくすると、顧威霆が来た。
「叔父さん、どうぞ入ってください」
顧威霆は頷いて入ってくると、その服は軍服のままだったので、基地からそのまま来たのだと分かった。
顧洋は顧威霆にお茶を出した。
「突然どうしたんですか」
顧洋は単刀直入に言った。
顧威霆の冷たい視線を一身に浴びても、顧洋は穏やかなままだった。
「軍が中国のプロジェクトに投資したんだが、そこに数人送って調査して欲しい。もちろんそのプロジェクトメンバーには私もいる。」
顧威霆は顧洋の緊張している顔を眺め続けた。顧威霆は顧洋の心を顧海の心よりも理解しており、顧海が顧威霆の息子だと言うよりも、顧洋が息子だと言った方が正しい気すらした。
「私と話すのは緊張するか?」
顧洋は微笑んだ。
「慣れませんね」
顧威霆は笑って顧洋の肩を叩いた。
「若いんだからそんなことは気にするな」
顧洋は心の中で、それは息子に言うべきだ、と冷笑した。
顧威霆は随分と顧洋と話していると、顧洋が電話で言っていたことを思い出した。
「顧海はどこだ?」
「もう帰りましたよ。」
「帰った?電話していた時は居たんだろう?」
「えぇ、今さっき帰ったところです。」
顧威霆の瞳が寂しそうになったのも束の間「何してたんだ?」と聞いた。
「ただそこに座ってましたよ。」
顧威霆は頷いた。
「そうか、じゃあ私は帰るな。お前も早く寝るんだぞ。」
顧威霆が車に乗って帰っていく背中を見て、突然不吉な予感がした。
もしかして、あいつらの家に行くんじゃ……?
考えれば考えるほど、本当にそうなんじゃないかと思ってきて、家に着いたら直ぐに顧海に電話をして、玄関の鍵を閉めるように伝えなくてはと焦った。
もしあいつが興奮して、それを顧長官が見たら、悲惨な結果になってしまう!
顧洋が電話をしたのと同時に、別の部屋で着信音が鳴った。
顧海は急いで出ていった為、スマホを持っていくのを忘れていた。
顧洋が顧海のスマホを手に取ると、顧海は一時的に出て行っただけなのかと思ったが、それだったらスマホに白洛因からメッセージが届いているはずだ。
顧洋は好奇心に負けて、白洛因とのやり取りを見たかったが、それをすれば確実に顧海の態度が変わる。
結局、顧洋は6時間前に送られてきた四文字だけを見た。
見た後、顧洋は首を吊って自殺してしまいたかった。
そこには「愛してる」と書かれていた。
それが本当にそのままの意味であれば良かったが、その言葉の裏には「お腹空いた」と言う意味が隠されていた。
顧洋は顧海のスマホをベッドに投げ捨てた。
お前らは自分の好きに勝手にしてろ!!