第8話 寮へ
白洛因の暗い目は、顧海の心を抉るアイスナイフの様だった。
「俺をここに呼んでおいて、最後に言うのはそれか?」
顧海は微笑みながら白洛因を見た。
「俺のことは誰よりも理解してるだろ?」
「お前、玉ねぎみたいだな。」
顧海は目を細めた。
「どうして?」
「自分のことを隠すだろ。他人はお前の皮を剥いで秘密を見たくて仕方ないのに、いざ暴いてみればつまらない割に涙が流れるんだ。」
顧海は怒ることなく笑った。
「変に気を使われる方がそっちの方がマシだな。」
白洛因は深呼吸した。
「顧社長、ご飯を奢らせて頂けますか!」
「白隊長、やめてくださいそんな……」
白洛因は他人かのように礼儀正しい。
「ここまで協力するために誠意を見せてくださっていたのに、私たちはそれを拒否しました。大変申し訳なく思います。ここのお食事代は出させていただきますので、今までのご無礼を忘れていただきたい。」
ーよし!
この一言は顧海と協力することを意味していた。
顧海は表情を変えず、笑顔のまま、白洛因の肩に手を置いた。
「こんな些細なことは気にもとめませんよ。」
白洛因は肩に置かれている顧海の手が、まるで鉛でも乗っているかの様に感じていたので、真っ直ぐ立つことが難しかった。
レストランに着くと、ウェイターがメニューを持ってきたので、白洛因は見ずにそのまま顧海に渡した。
「どうぞ、何でも頼んでください。」
顧海は気取って言った。
「それでは家庭料理を頼みましょう!」
「そんな!」
白洛因は寛大な振りを続けている。
「家庭料理ならここに来なくとも食べられます。それにあなたの方が家庭料理であればお上手なんですから、いつもは食べられないものを注文してください。」
「本当ですか?」
そう言うと、顧海は一気に数十皿の高い料理を2人前ずつ注文すると、まるで後悔している振りを見せた。
「あっ、昔と同じ食欲があると思って全部2人前頼んじゃいました。ウェイターに重複してるものは省く様に伝えますか?」
白洛因は笑顔を作って"大丈夫ですよ"と伝えた。
ー呪ってやる。顧海、お前絶対わざとやっただろ!!
料理が並ぶと、顧海は箸を取ったが、突然手が止まった。
「白隊長、この会食が終わった途端、気が変わるなんてありませんよね?私共と働きたいから、こうしてもてなしてくれてるんですよね?」
「そんなこと絶対有り得ません!!」
白洛因は悔しそうに顧海を見た。
「ほらほら、どんどん食べてください!」
食べ終わると、白洛因はレジに向かった。
「お会計は4512元(約7万円)です。カードと現金、どちらでお支払いですか?」
顧海は隣でまるで気遣う演技をした。
「足りますか?私も払いましょうか?」
白洛因は堂々とカードを出したが、この食事は大きな痛手だった。
レストランを出ると、白洛因は振り返って顧海を見た。
「俺は軍に帰るから、お前も帰れ。奥さんも心配するだろ。」
顧海の心は浮いた様だった。
「そっちに行っちゃダメか?」
白洛因は顔を向けて、顧海を疑うように見た。
「寮に来たって面白いもんなんて何も無いぞ。」
顧海の笑顔が益々おかしく歪んだ。
「長年お前が隠れていた場所を見てみたいんだ!」
白洛因は何も言わず、車に乗った。
顧海は軍に着くまでずっと白洛因の後ろをついて行き、個人寮へと入った。一般的な3部屋は、男にしては綺麗にされていた。しかし、軍に出入りする機会の少ない顧海にとっては、見苦しい部屋だった。
「副司令官なのになんでこんなに部屋が汚いんだ。片付けてくれる部下ならいるだろ?」
顧海は部屋を見回して、不機嫌そうに言った。
「あんまり部屋に人を入れたくないんだ。」
顧海が冷蔵庫を開けてみると、中身は殆ど空で、数本の飲料と、腐った豆腐しか無かった。顧海は腐った豆腐が入った鍋を開けると、悪臭がした。
「お前これいつ食ったんだ?こんな臭い豆腐も食うのか!」
「臭い豆腐じゃなくて、味噌豆腐だ。」
白洛因はそう言って顧海の手からそれを奪うと、カビが生えていた。
「冷蔵庫に入れたまま食べ忘れてた。」
白洛因はゴミ箱にそれを捨てて、不機嫌に言った。
「本当に何しに来たんだよ。」
「なぁ、白隊長。なんで下着がこんな所に投げられてるんだ?」
白洛因が振り返ると、顧海が下着を馬鹿にした顔でぶら下げているのを見た。白洛因は穏やかな表情で下着を奪うと、嫌悪感を顕にした。
「触るな!」
「前まで貧しかったんだろ?下着を洗わないことぐらい気にしてどうするんだ?」
顧海がそう言い終わると、部屋は沈黙に包まれた。2人は喧嘩を回避しようとしたので、誰も話を続けようとしなかった。
白洛因は放り投げられていた靴下や下着、シャツなどの汚れた服を洗濯機に入れた。しばらくの間、洗濯機が回る音だけが部屋に鳴り響いた。
顧海は白洛因のキッチンを見ていると、インスタント麺の袋と、食べかけのご飯を見つけた。テーブルには未開封のビスケットの袋が2つあり、隣には八宝菜の弁当が……
顧海は文句を言いたくて仕方なかった。
白洛因、こんなものを食ってるのか?
マフラーだって編めたのに、料理をする気は無いのか?
毛布を乾かすことも出来ないのか?
8年間も1人で生きてきて、自分の世話をろくに出来ない無駄な時間を過ごしていたのか?
お前よりも人生を無駄にした人間は見たことねぇよ!!
白洛因が寝室に戻ると、顧海が枕を触っているのを見た。
「それに触るな!!」
警告無しの怒鳴り声に、顧海は枕カバーを外す暇もなく、白洛因に寝室から押し出されてしまった。
「どうしたんだ?」
顧海は冷たく鼻を鳴らした。
「枕カバーが汚れてたから洗濯しようとしただけだろ。こんなので寝てて気分が悪くならないのか?」
「俺はこれが好きなんだ!!」
顧海は部屋を一周して、痛みなんて感じてないように白洛因の前に立って静かに話した。
「正直言って、今のお前を見て失望したよ!!」
白洛因は涼しい顔をしている。
「それなら帰ればいいだろ。」
「嫌だ、帰らない。」
そう言うと、また部屋の中を彷徨い始めた。
白洛因はわざわざ話す気にもならず、バスルームに行って靴を磨いていた。
顧海がドアに忍び寄ると、ちょうどドアをノックする音が聞こえた。
もう9時50分だと言うのに来客がいるなんて、とんだ生活をしてるんだな!
「隊……」
顧海を見ると、刘冲は"長"を飲み込んだ。
「隊長はどこですか?」
刘冲が顧海を睨みつけた。
「そうだな、どこだろうな!」
「お前……!」
刘冲は怒鳴った。
「俺たちの隊長に何をした!?」
「お前が言った通りだとすれば、俺は一体隊長に何をしたんだ?教えてくれよ。あいつは俺に何をした?」
白洛因は声を聞いて急いで出てくると、ドアに立つ刘冲を見てしばらく固まった。
「こんな時間にどうしたんだ?」
刘冲は白洛因が安全だと分かると、自信を持って中に入り、持ってきた袋を机の上に置いた。
「隊長、どうせろくに食べてないんでしょう。だから餃子を持ってきました。まだ熱いので、熱いうちに食べてください。」
「仕事は終わってるのか?」
白洛因が尋ねると、刘冲は急いで説明をした。
「はい!終わってそのまま来ました。もしかして、もう食べてしまいましたか……?」
「こいつはもう食べたよ。」
顧海が突然の口を挟んだ。
「俺とな!」
当然、刘冲は敵の思い通りに動くほど愚かではなく、顧海を無視して白洛因に話し続けた。
「隊長、まず靴を置いてください。私が磨いておきますから。冷める前に餃子を食べてください。茴香餡の餃子ですよ!」
「お前の隊長様は茴香餡は嫌いなんだよ。こいつが好きなのはズッキーニと卵の餃子だ。」
顧海は堂々と、勝ち誇ったかのように言った。
「誰が嫌いだって?」
白洛因は手を拭いて歩いてきた。
「俺の好みはもう変わったんだよ。」
そう言うと刘冲の手から袋を取って、箸を使って餃子を口に運び、飲み込むと微笑んで刘冲を見た。
「美味しいよ。」
顧海は8年間で変わっていないことを期待していたが、この光景を見てその袋を床に捨ててしまいたかった。
しかし本当は、なにも変わっていなかった。
「ゆっくり食べててください。俺は行きますね。」
出ていく前に、顧海のいたドアを睨みつけてから刘冲は去った。
白洛因は口に含んでいる餃子を吐き出したくて堪らなかった。実際、好みは変わっておらず、茴香餡の餃子は嫌いなままで、本当に好きなのはズッキーニと卵の餃子のままだった。
顧海が触れた枕カバーの中には、顧海の制服ジャージが入っていた。8年前、白洛因が家を離れた時、色褪せたジャージ以外なにも持っていなかった。毎日その枕に頭を預けていると、まるで顧海の胸元に横たわっているような気がして、彼の鼓動が自分を眠らせてくれている気がしていたのだ。