第9話 顧海の勝利

翌日、刘冲は昨夜あった人物が、資料の中で興味を持っていた人物だったと知った。

「え?あの人が顧海なんですか?厳しい道を自ら選び、若くして社長になったあの?」

白洛因は微笑んだ。
「あぁ、長官の息子だよ。」

刘冲は驚いた。
「顧威霆の?本当ですか!?そうであれば少佐などに留まらず、2年で中将になれるでしょう。そんな大きな後ろ盾があれば、彼が軍事産業に参加できるのも不思議じゃないですね!幸い昨日変なことも言ってないですし、復讐とかされませんよね?」

白洛因は笑って刘冲を見た。
「どうだろうな。」

刘冲は目を丸くした。
「本当ですか?そんな些細なことで恨むような人なんですか?」

「あいつは死ぬほど器が小さいからな。あの日レストランに行った時、実はドアを開けた時にあいつの事をちょっと殴ったんだ。それだけであいつは平手打ちしてきたからな。」

白洛因はまるでそれが本当かのように話すと、刘冲はそれを信じ込んだ。

「そう言えば、彼を2発殴ってしまったのですが、きっと覚えてますよね……分かってれば餃子を渡してたのに!!」

白洛因は額に手を当てる振りをして顔を隠した。
ー本当に信じる馬鹿がいるのか!!

「大丈夫だ、からかっただけだよ。あいつはそんな些細なこと気にしない。」

刘冲は胸を撫で下ろして、尋ねた。
「それで、昨夜はなんで彼が来たんですか?」

「プロジェクトに協力してくれると言ったから、それについて具体的な話を話し合ってたんだ。」

「そう言う事だったんですね。」
刘冲は頭を掻いた。
「彼と契約したんですか?」

「してない。」

刘冲は困惑した。
「どうしてしなかったんですか?彼の会社の条件はいいのに、同意してくれなかったんですか?彼を傷つけるのが怖いんですか?」

「俺はもうずっと前にあいつを傷つけてるよ……」

白洛因は刘冲が理解できないと分かっている言葉を残して、研究室から去った。



3日後、白洛因はプロジェクトの進捗状況を報告するため、所長の元へ向かった。

「これらが研究チームに選別された者のリストです。一部は既に契約書に署名されています。こちらは協力企業です。協力条件は交渉済みです。問題が無ければ署名をしてもらおうと考えています。」

所長は資料に目を通している間、眉がひそめられ続けていた。正直に言って、白洛因は緊張していた。一部協力企業は軍にとって危険性が高いものもあり、しかもこのような大規模プロジェクトを任せれたことは初めてだった為、不安だった。

所長は資料を全て読んだ後、予想に反して白洛因を賞賛した。

「悪くない。慎重に進められているし、資料も明確に整理されている。安牌ばかりを選ぶのではなく、時として一歩踏み出さ無ければならない。もはや私みたいに古い人間は若い方々の考えに追いつくことも出来ないよ。本当に何か悩んだ時には、せいぜいアドバイスぐらいなら出来るから古い人間も頼りなさい。」

白洛因は安心して微笑んだ。
「私達は今、暗闇の中を歩いているようなものです。所長がいらっしゃらなければ、歩くこともままなりません。」

「ハハハッ……しかし、海因会社が協力をしてくれたのはこれが初めてのようだね?」

白洛因の心が再び引き締まった。
「はい、しかし彼らは陸軍へ2度協力していますし、資金も抑えられるので選びました。」

「悪くない。」
所長は白洛因の肩を叩いた。
「ただこの会社についての君の考えが聞きたかっただけだよ。この会社と共に頑張りなさい。」

白洛因は嬉しそうに事務局を出て、主要企業に人を送り、今後について話し合うつもりだった。


しかし、午後に海因科学会社は同意しないとの連絡が届いた。

白洛因は強い打撃を受けた。

「どうしてだ?」

「こっちが出した条件が厳しすぎて、会社の利益を考えてないからと……」

白洛因の顔は暗くなった。

「こっちから条件を出したって?交渉に行った時にあっちから条件を出したんだろ!今更になって手を翻すのか!!」

協力せずに俺の面子を潰して、鼻も蹴るつもりなんだな!

白洛因は怒りながら所長に電話をかけたが繋がらなかった為、研究部部長を見つけ、説明すると直ぐに全員を集めた。

「今更こんなこと所長に言えねぇよ…」

「どうして?」

白洛因が深刻そうに尋ねると、部長はため息をついた。
「この話を聞いた所長は大層喜んでらっしゃる。他の会社なら良かったが、顧長官の息子の会社となれば、所長は長官にいい顔したがるだろうな。もし既に長官にこの話が通っていれば、どうなるかわかるだろ?」

白洛因が心の中で牙を剥いていると、部長が再度尋ねた。
「それにしても、どうしてこんな急に気が変わったんだ?」

「いや、もういい。」
白洛因は不機嫌そうだった。
「急に気が変わったのはあっちだ。値段を安く設定していたからもう資金はギリギリにしてある。それなのに突然値段を上げろと条件を変えるような会社と協力する必要があるか?」

部長は仕方なさそうに微笑んだ。
「商売も公務も同じだ。しかし、どっちが大切なのかは、わかってるだろ?今回は契約前だし条件を変えることもあっちの自由だ。交渉に誰かを送って、本当に協力する気が無いのが試してみたらどうだ?」

白洛因は唇を噛み締めて何も言わなかった。

部長は彼の肩を軽く叩いて言った。
「大きな問題でも小さな問題でも無いんだからそんなに気にするな。ダメだったら他の選択をするまでだ。そのために散々計画を練ってきたんだろ?」

この言葉を聞いて、白洛因は完全に顧海の罠にかかったんだと悟り、憎しみで歯を食いしばった。

顧海、お前のやることは残酷だな!
この8年間、俺を貶めるために無駄に生きてなかったみたいだな!



選択の余地もなく、翌日交渉に人を送ったが、昼前に帰って来て、ダメだったと白洛因に伝えた。中に入ることも許されず、担当者が来なければ交渉をしないと。


一晩中このことについて考えてから、白洛因は屈辱に耐え赴く事に決めた。


顧海の会社の1階ロビーに足を踏み入れた瞬間、香水の強い香りがする。白洛因は今すぐ出て行ってしまいたかったが、腹を括った。

まるで風俗嬢のような女性が白洛因の元へ詰め寄った。
「何がご要望ですか?」

白洛因は益々顧海の企業の正当性を疑った。


エレベーターで6階へ上がり、様々な部署を通ると、そこかしこからの女性の視線を無視して、白洛因はやっと会議室へとたどり着いた。彼がこの会社に入るのを許された初めての男だった。

「どうぞ、座ってください。」

荒々しい声で、背の高い女性が白洛因にお茶を出した。白洛因が驚いて彼女の事を見ると、太い足に毛が生えているのを見て白洛因の喉がキツく締まった。よく見てみると、骨格は太く、腕に筋肉がついており、輪郭は男そのものだった。

就職条件が厳しい割には、女装男性はいいのか?

美女は鋭く白洛因を見て、即座に彼が考えていることを理解した。

「私は女ですよ。」
美女はそう強く言ってドアの側へと去った。

白洛因にとってこれ程恥ずかしい経験はない。



顧海が入ってくると、真ん中の椅子に座っている白洛因に視線を向けた。シワひとつない軍服は強大で背の高い身体を包み込み、英雄的な顔は微かに殺意も含ませている。顧海がドアを開けて椅子に座るまで、鋭い視線か刺さり、唇は真っ直ぐと一本に引かれていて、交渉に来たのではなく、まるで宣戦布告の様だった。

美女は顧海に近寄って何かを囁くと、顧海は頷き、美女が出て行った。

広い会議室に、顧海と白洛因の2人だけが残された。

「あの子は女じゃなくてニューハーフだ。」

顧海は声を抑えてそう言うと、白洛因は顧海が期待した通りの表情を見せてくれた。

「お前の趣味も変わったんだな。」

「お前が来る前にどうやってお前をもてなそうか考えてたんだ。美女を寄越したって、軍に長く居たお前には刺激が強すぎるだろ?だからまず前菜を用意して徐々に慣らしてやったほうがいいと思ってな。」

白洛因の目は暗く光り、口角が無理やり上がった。

「お気遣いありがとうございます!」

顧海は楽しそうに微笑んだ。
「それで、今日はどうした?」

白洛因は仕事で来ていたことを思い出し、姿勢を正した。
「プロジェクト協力について。」

顧海はタバコに火をつけて、静かに煙を吐き出した。

その後、2人はプロジェクトについて話し合った。今回は顧海が物事を難しくした為、白洛因が協力をする事によって生じる利点を辛抱強く説明した。

「すぐに始めなければならないプロジェクトなので、もしまだご理解頂けないようであれば、他の企業に頼むことも可能です。」

顧海は頷いた。
「分かってます。」

白洛因は内心殴られた様に感じていた。
分かってるのに断ったのか?
そう考えていると、白洛因のペースは崩され、強く顧海に訴えた。
「以上の事に考慮して、よくお考え下さい。」

「考えるべきなのはそちらでは?」
顧海は腕を広げた。
「協力をしないと言った訳ではありません。そちらが価格をあげることに同意して頂ければ、すぐにでも契約書に署名しますよ。」

白洛因は表情を強ばらせた。
「この価格で同意して頂けないのであればそれまでです。」

顧海は白洛因をじっと見つめた。
優しく話してちゃ分からないのか?

白洛因は激しく立ち上がった。
ーもういい、こんな奴の顔を見に来たわけじゃないんだ!

"どっちが大切なのかは、分かってるだろ?"

白洛因の頭の中で、突然部長の言葉が光った。

足の向きを変えて、突然、驚くほどの寛大さで顧海の前に立った。

「分かりました。価格を上げることに同意しますので、契約書に署名を!」

顧海の口角が、僅かに上がった。
「いや、気が変わった。やっぱり協力しません。」

白洛因の顔は暗くなり、突然顧海のネクタイを掴んだ。

「顧海、何がしたいんだ?」

「最初から俺の条件は変わってねぇよ。」
顧海の腕が白洛因の首を掴んだ。
「まだ分からないのか?」

白洛因は肘で顧海の下腹部を殴り、怒鳴り声をあげた。
「顧海、そんなに俺の面子を潰したいのか!なんでお前なんかと仕事しなきゃいけないんだ……価格はそのままだ。署名する気があるなら連絡を寄越せ。する気もないのに連絡して来たら殺すからな!!」

久々の白洛因の怒鳴り声が、顧海の口元にまで届いた。

「そんなに急ぐなよ、まだ長時間交渉をした訳でもないだろ?」
顧海は楽しげに白洛因の頭を撫でて、危険な社長からただのおしゃべりなお兄さんへと成り下がった。

白洛因は心の中で牙を剥いた。
ー国家の為、国民の為だ。我慢しろ!!

顧海はタバコを手に取って、白洛因の顔に煙を吐き出した。そして冷たさの残る声で言う。

「あの餃子は美味しかったか?」