第18話 自分の心

何かがおかしい……
白洛因が周りを見渡すと、周囲は荒野で、苔がカーペットの様に地面を覆っていた。彼が居たのは高原で、少し先は泥沼だったので、戦闘機内での判断は間違っていなかった。それにしても沼地ではなく、硬い地面に着地できたのは幸運だ。

白洛因が自分の体を見下ろすと、飛行服はそのままで、怪我もしていなかった。

命は助かった様だ。

白洛因は立ち上がって、野外生活訓練で蓄積された豊富な経験を元に、周辺を見回した。彼の立っている所を除いて、周辺は危険な沼地で、一歩入ってしまえば出る事は不可能だっただろう。自分の推測が正しいのか確認する為に、白洛因は後ろに生えていた木から枝を数本折り、束にして周辺の地面をつついてみると、枝は沼に吸い込まれた。

白洛因は目を見開いた。
こんなのから抜け出せたか?

この瞬間、彼は神を他の誰よりも愛した。しかし、実際には所詮は神のペットだった。神が一番好きなことは、最初に甘いものを与えておいて、その後、無慈悲にも殴ることだ。白洛因は沼に囲まれながら、狂ったように死が自分を迎えるまでの時間を静かに計算した。

白洛因は地面に座り、助けが来るようにと祈った。

疲れすぎていたのか、白洛因は座ったまま寝てしまっていた。暗くなると、凍える様な寒さに目を覚まし、周辺は重たい霧に包まれていて、まるで映画に出てくる幽霊になった気分だった。しかし、白洛因は恐怖を感じていない。幽霊でもいいから、誰かが現れて助けてくれるのを望んでいた。

唇が乾いたので、白洛因は周りを見回したが、沼の泥水しかなく、それも有毒で飲めなかった。最終的には木の根の下に穴を掘り始め、3時間掘ると土が濡れているのを感じた。白洛因はシャツを脱ぎ、土をしっかりと包むと、水が染み出した。

音を立てながら数口分取り、口を拭くと、白洛因は木の根の側で休んだ。

白洛因が目を細めて空を見上げると、突然赤く点滅する光を見つけた。輝くそれは、明らかに飛行機だった。
救助が来た!
白洛因は興奮し、空に向かって叫び続けながら、パラシュートを枝に結んで旗を作り、一生懸命振り続けた。

その光は常に低空に浮いたまま、白洛因に近づくことは無かった。

白洛因は自分が見つかることは難しいとわかっていたが、それでも希望は捨てたくなかった。しかし、一度ここから離れてしまえば、戻って来ることは出来ない。石を見つけると数回強く打ったが、周囲の植物が湿っていた為、火花が出るだけで火がつくことは無かった。

再び白洛因が顔を上げると、光はどんどん遠くへと行ってしまっていた。

白洛因はその飛行機に見つけられることを諦めて、元いた場所に座った。

幸いなことに飛行服は十分厚く、寒さに耐えられる程度だった為、白洛因は地面に横たわって眠った。パラシュートを半分に折り畳み、片方をクッションにし、残りは自分の体にかけた。しかし、眠っている間に習慣的に寝返りを打ってしまい、抑えが無くなったパラシュートは風邪で吹き飛ばされてしまった。

白洛因が突然目を覚まし、無意識にも布を引っ張ろうとするも、パラシュートは飛んで行ってしまっていた。白洛因が握っている手を広げても、あるはずの毛布もクッションは消えてしまった。



部隊は一夜目の捜索に失敗し、顧海も個人的に飛行機を飛ばして白洛因を捜索した。

空を見ると、夜が明けようとしていたので、パイロットは顧海に目を向けて意見を求めた。

「休憩を挟もうと思ってるのですが、何か食べますか?」

顧海は簡潔に答えた。
「続けろ。」

夜明けになると、突然周囲は霧に包まれ、低空を飛んでも地面が見えにくい状態だった。正午まで異常気象のままで、飛行機は通常飛行も困難な状態になり、捜索を中断した。

顧海は待っていられず、車を使って荒野を突き進んだ。

オフロード車が沼地に入り、失速しまった。しかし、顧海はこの瞬間を待ち望んでいた。この時の為に準備していた大きなリュックを持って背負うと、沼の奥に向かって進み続けた。

午後になると、暗くなり自分の目だけを頼ることが出来なくなり、顧海は木の棒を持って進めるのかを試しながら進んだ。一歩一歩慎重に進んでも、沼地に何度足を突っ込んでしまったのかはもう数えきれない。その度に粘り強く足を抜けさせた。
夜になると、より捜索が難しくなり、顧海の歩く速度はどんどんと遅くなった。通れない道も出てくると、顧海は体を転がしてすり抜けた。

顧海は眠ることも無く、リュックの中に入っている水も食べ物も取らなかった。

白洛因の事以外、顧海は考えていない。

生きていることの他に、何が最も大切なのかも分からなかった。

顧海にとって白洛因の心が何処にあるかなど関係ない。白洛因を見つけた瞬間、彼が結婚を決めたとしても、顧海は幸せだった。

生きていなければ意味が無い。

周囲が徐々に明るくなると、顧海の歩く速度も上がった。

大きな沼の前に立ち、どうやって通るかを考えていると、突然大きな布がそう遠くない木の枝に引っかかっているのを見つけた。彼は緊張しながら慎重に近寄って、手に取ってみるとパラシュートだった。パラシュートには結び目があり、それは風によって結ばれたのではなく、明らかに人の手で結ばれたものだった。

顧海の心が飛び跳ね、目が輝いた。

白洛因は絶対に生きてる。



3日目になり、白洛因が数えると、もう大晦日になっていた。

数日前に白漢旗に電話したことを思い出していた。白漢旗の嬉しそうな声が心を痛めた。やっと新年を家で過ごせると思っていたのに、両親を騙してしまった。きっと邹叔母さんはテーブルに料理を敷き詰めて待っていたはずだ。そのテーブルに並ぶ料理の数々を想像して、白洛因の心はもっと苦しくなった。振り返って木を見ても、樹皮は殆ど無くなってしまっている。

白洛因は片手で木を抱きしめながら、頭を預けて遠くを見つめた。

餃子……ズッキーニと卵の餃子が食べたい……

白洛因は空腹に耐えきれず、頭が麻痺し目がくらんでいると、遠くない場所に揺れる姿を見つけたが、幻覚だと思っていた。
こんな場所に人間がいるわけないだろ!?

顧海は白洛因を見つけて、足が動かなかった。

「因子!!」

声を聞いて白洛因が目を向けると、誰かが数十メートル先に立っていた。目を凝らして見ると、顧海だった。顧海は泥まみれで誰か分からなくなっていたが、それでも白洛因には顧海だとわかった。

心の中に巨大な波が生まれた。

白洛因は急いで立ち上がって、反対側に手を振った。

「大海!!大海!!ここだよ!!」

顧海は額の汗を拭いて、安心して微笑んだ。

「すぐ行く!すぐそこなんだからそんな大声で叫ばなくてもいいだろ!?俺は難聴じゃねぇよ!」

白洛因は大声を出すつもりはなかったが、感情を抑えきれなかった。この荒野で自分の周りを飛ぶ蚊すら家族のように感じていたのに、顧海を見つければ興奮するに決まっている。

「そこから動くなよ!俺が行くから!!」

顧海が大声でそう言うと、白洛因は突然顔色を変えて説得した。

「来るな!!危ない!!」

「大丈夫だ!すぐ行くぞ!!」

顧海が一歩踏み出そうとすると、反対側で叫ぶ白洛因の声を聞いた。

「脚が抜けなくなるぞ!俺が飛び込まないと信じられないのか!?」

顧海は白隊長の勇敢な姿を見て、急いで足を引っ込めた。とにかく白洛因は見つかったのだし、少し待つくらいどうってことない。彼も疲れていた上に、この大きな沼は恐ろしかったので、体力を温存するためにも、リスクを回避する方が良いと判断した。顧海はリュックを下ろして、唸りながら地面に座った。

白洛因は顧海が座ったのを見て、やっと安心できた。しかし顧海の隣にある膨らんだリュックを見て、目を輝かせながら叫んだ。

「リュックの中には何が入ってるんだ!?」

顧海はリュックの中から水を取り出して、2口飲んだ後に叫んだ。

「食べ物とか入ってるけど、お前もいるか?」

白洛因は先程よりも目を輝かせて叫んだ。

「ズッキーニと卵の餃子は!?」

それを聞いて顧海は怒った。

「ここまで来るのも大変だったのに、餃子を持って来いって言うのか!!?そしたらサンザシ飴も持ってこなきゃいけないのか!!?」

「氷砂糖、酢椒魚、春餅巻き、白身肉、釘肉、卤煮火焼……」

白洛因は反対側から食べたい物をあるだけ叫んだ。
それは隊長の姿ではなく、ただの腹を空かせた子供だった。

顧海は何を言うべきか分からず、こんな時でも自分の作った料理を食べたがる姿に、愛おしさを感じていた。

「早く投げろよ馬鹿!!」

白洛因が大声で催促したが、顧海は故意に白洛因を困らせようとした。

「投げるのか?沼に落ちたらどうするんだ?」

白洛因は暗い顔で怒った。

「なんで投げろって言ってるのに投げないんだ!?」

顧海に縋るのではなく、顧海の持ってきたリュックの中に縋るのを見て、つまらなく感じた。

「投げない!!」

白洛因は急いで振り返って、長い枝を見つけると、それを使って顧海からパンを受け取ろうとした。引っ張ると白洛因の足にパンが当たって、それを手に取ると、顧海がパンにロープを結んでくれていた。

食べ終わったらちゃんとお前に感謝するよ……
白洛因は数日ぶりに食べ物を食べると、有り得ないほどの美味しさを感じた。

「因子!!」

突然の怒鳴り声を聞いて、白洛因は喉にパンを詰まらせながら、急いで反対側に目を向けた。

「やっと見つけた!!」

この叫び声は空をも貫通する程だったので、数十メートルしか離れていない白洛因の鼓膜は破れそうだった。

「なんで急に大声を出すんだ!?」

顧海の暗かった顔に微笑みが浮かんだ。

「俺やっとわかったよ!!」

顧海の言葉は誇張しているわけでは無かった。
白洛因が反対側で手を振って叫んでいるのを見た時、どうしてこんなにも落ち着いたのかを、今になってやっと理解出来た。