第20話 顧家
空が瞬く間に暗くなり、白洛因は顔を向けて顧海を見た。
「なぁ、ここにずっと座って助けを待つのか?それとも夜明けに帰るのか?」
「帰る?」
顧海は冷たく鼻を鳴らした。
「こんな沼に囲まれてるのにどうやって帰るんだ?俺が来た時に、お前は俺を帰すことだって出来たのに俺はここにいるだろ。待ってれば誰か来るだろ。」
白洛因は軽く咳をした。
「ここまで来れたんだから戻れるだろ?」
「その時は気合とやる気があったからな。今はもう無いし横になってたい。」
顧海はリラックスしたように言ったが、実際は緊張していた。自分が危険に晒されるならまだしも、白洛因までも巻き込めない。
やっと白洛因に会えたって言うのに、帰り道に何かが起こったらどうするんだ!
白洛因はため息をつくと、仰向きになって腕を枕にした。一本の脚は曲げて、もう一本の脚は伸ばし、飛行服を身にまとっている。
「何見てるんだ?」
白洛因が傲慢な視線を投げた。
顧海の目は、白洛因の服の下まで見えていた。
「見られててわかんねぇのか?お前今の自分の顔みてみろよ。何日間顔洗ってないんだ?」
白洛因は目を細めて、静かに尋ねた。
「何日洗ってないんだって?お前の方が酷いだろ。今お前の顔を刺したって肉まで辿り着けねぇよ。」
顧海の体についた泥はほとんど乾いていて、大きな手で払えば周囲に砂煙が舞って、1メートル離れている白洛因すらも窒息しそうだった。
白洛因が戻ると、顧海が手に水を注いでいた。
「お前馬鹿なのか!?ここにそんな綺麗な水無いのに、それで手を洗うなよ!」
聞く耳を持たない顧海は白洛因の顔に手を伸ばして、泥を洗い流した。手が離れたと思うとまた水を注いで、また泥を撫でて落とした。
白洛因は、顧海が手を洗っているのでなく、顔を洗うために水を使っているのだと理解した。
「俺の顔はそんなに汚いか!?」
「やっとお前に触れた。」
白洛因は驚いて、落ち着くために木の下に座ってポケットからタバコを取り出し、火をつけるとゆっくりと煙を吐いた。
「会社の女性の綺麗な肌ばっか見てるから、俺の肌は目にもたくないだろ。」
顧海もタバコに火をつけながら、目を細めて白洛因の事を見た。
「因子、ずっと軍にいて辛くなかったか?」
白洛因の心が動いた。
今になってやっとその事について気にするのか!?
「最初の2年は辛かったけど、それを過ぎれば大丈夫だったよ。」
顧海はタバコの灰を落としながら、もう一度尋ねた。
「じゃあ体、強くなったのか?」
「少しはな。」
白洛因は謙虚に答えた。
「前の方が筋肉柔らかかったよな?」
何が聞きたいんだ?
白洛因が眉を少しあげた。
「なぁ、じゃあさ、体は柔らかくなってんのか?」
顧海の手が白洛因の足を撫でると、白洛因の視線が顧海に刺さった。
「何を言いたいんだ?」
顧海は白洛因の耳に唇を当てた。
「8年前から一度もシテないのか?」
白洛因の脚は逃げることなく、ただタバコの煙を顧海の顔に浴びせてやった。
「あぁ、だから10分以内にお前を犯してやりたいよ。」
顧海は虐めるように笑った。
「それで足りるか?来い、本当かどうか確かめてやるよ……」
まるで猿が桃を木から盗むように、そっと手を伸ばした。
白洛因は誰かの手に犯され、まるで稲妻が走ったようだった。その誰かの気持ちを感じる度に、彼の心が長年貯めていた感情を爆発させた。
暗闇が全てを隠すと、顧海はリュックからパラシュートを取りだし、下に引くと、2人分の寝袋を出して、2人はそこで眠った。
風が強くなると、白洛因は必死に首を縮めた。
「寒いか?」
「いや、服が暖かいから大丈夫だ。」
そう言うと白洛因は顧海をちらっと見た。
「俺よりもお前の方がよっぽど薄着だろ。」
「俺は泥を着てるから暖かいんだよ。」
これを聞いて白洛因は笑わずにはいられなかった。
久しぶりに見た白洛因の笑顔は、過去に何度も見ていた顧海にとっても息を呑むほどだった。
白洛因は顧海のことを抱き締めた。
「お前から離れて行ったくせに、社長にもなるとこんなこともしてくれるのかよ。俺の義母になんて説明するんだ?」
「義母が沼を見てるのか?」
白洛因が鼻を鳴らしてそう言うと、顧海は口角を上げて微笑んだ。
「きっと目を見開いてるよ。」
白洛因は口を開かず、ただ顧海のことをじっと見つめていた。その目は濡れていて、底が見えないほど深かった。顧海が彼の視線に気づいた時、内蔵を強い電流が流れた感覚がした。今まで彼のこんな姿は見たことがなく、一見強そうなのに、それでいて中身は弱く優しい人であることを知れば、誰も止められるわけが無い。
顧海の喉仏が動くと、白洛因は目を閉じた。
顧海の口は、突然白洛因の口を塞いだ。
こんなの誘ってんだろ!!
しかし1回では我慢できず、顧海はもう1回を強請りたかったが、耐えた。
2分もすれば、いびき声が聞こえだした。
顧海の呼吸は止まり、首を絞め殺したくなった。
くそっ、久しぶりに出来ると思ったのに!
夜遅くになっても顧海は眠くならず、白洛因の腕をとって、代わりに彼を抱き締めた。白洛因がぐっすりと眠るのを見て、心の中で哀れに感じた。こんな荒野で何度眠ったのも分からない。しかもこんな湿った場所で寝られるほどここに慣れている。
顧海は耐えきれず、白洛因の頬にキスをした。
因子、家が落ち着くまでいくらでも待ってるからな。
愛してる。
本当は、白洛因は顧海が眠った後に寝ていた。
12時が過ぎて、今日はもう元旦だ。彼のように軍隊に長年いると日付感覚がついてくるが、顧海は忘れていた。
白洛因も、顧海の汚い頬にキスをした。
大海、俺はもう何も怖くないよ。
お前のことだって、俺が守ってやれる。
顧威霆は8年後、こうなるなどとは考えていなかった。
顧海が白洛因を探すと聞いて、顧威霆の心は憎しみと思い通りに行かない悔しさで埋まっていた。彼は8年間の別れが、この関係をどれほど強くしたのか理解していなかった。
しかし、捜索を続けるにつれて、そういった感情は全て心配へと変わった。連絡が無いのは白洛因だけでなく、顧海もだ。
今日は新年を迎えて6日目で、白洛因が失踪してから8日、顧海が失踪してから6日目になる。
一般的に言えば、事故により7日間行方不明になれば、生存確率はほぼゼロになる。
8年前の事故を思い出せば、顧威霆が怖がるのも無理はなかった。白洛因が入隊すると彼に言った時、顧威霆は顧海を危険に晒させたくなかったので反論しなかった。会社を立ち上げ、平和に暮らしていたと思っていたのに、結局は彼は再び死に直面している。
10年前が20年前だったら顧威霆はすぐに「ただの息子じゃないだろ?放っておけ!」と言っていただろう。
しかし今は、こう言える勇気もなかった。顧海の交通事故から、顧威霆は他に子供を作っておらず、彼の血を引くのは顧海だけだからだ。
何千人もの兵士がいたとしても、この血が途絶えてしまえば、全てが壊れる。
「長官、顧海の車を見つけました。」
顧威霆は急いで尋ねた。
「人はいたか!?」
「人は……いませんでした。」
顧威霆の顔が変わり、椅子を掴んでいる手には青筋が浮き出て今にも破裂しそうだった。座ると椅子全体が揺れた。
孫警備兵は説得するために1歩前へ出た。
「長官、慌てないでください。小海の体格は優れてますし、長期間野原で暮らしていても問題は怒らないでしょう。その上、小海はここ数年慎重に動いてますし、きっと車を降りる前に準備をしているはずです。小白はほとんど見つかってますし、すぐ2人とも家に帰ってきますよ!」
「だからなんだ!慎重に動いてるやつはあんな危険な場所に出向くのか!?」
孫警備兵は心の中で言った。
息子の気持ちも分からないのか……?
部屋の雰囲気が緊迫していると、突然誰かが報告へ来た。
「長官、甥っ子が来てますよ。」
そう言い終わると、顧洋はサングラスを外しながら部屋に踏み入り、冷たい目で二人を見た。
「何かあったんですか?」
顧威霆は何も言わなかったので、孫警備兵が代わりに顧洋を部屋の隅に連れて行き、状況を説明した。
顧洋の顔が変わり、孫警備兵の肩を叩いた。
「俺が見つけてみせます。」
しばらくの間、雪の中へと顧洋の姿が消えた。