第208話 青春の終わり

車は急カーブして道路へとぶつかった。白洛因の心拍は飛び跳ね、加速させながら顧海を見た。
「今日はどうしたんだ?」

顧海は機械のようにぎこちなく笑った。
「少し目が覚めたよ。」

周りに車は少なく顧海は安堵のため息をついた。ブレーキが故障したとしても、強制的に減速して止めることはできる。白洛因を見ると彼もまた顧海を見ていた。その瞳には不安が映っている。

「顧海、なぜだか分からないけど、焦ってるんだ。」

顧海の緊張していた顔は徐々に柔らかくなり、ゆっくりと減速した。

「なんだ、怖がってるなら冗談でも言ってやろうか。」

「言えよ。」

白洛因が軽くそう言うと、顧海は微笑んだ。
「目を閉じろ。」

「なんでだ?」

「この冗談を聞きたければお前は目を閉じないと。」

白洛因は顧海がなにを直しているのかも知らずに、好奇心から目を閉じた。そうしてただの奇襲だろうと考えた。

「村の出生率はいつも高い……」

顧海は話しながら2番目のギアを入れ、スロットルを離してクラッチを上げると瞬時に減速した。

白洛因が目を開けようとすると、顧海が話を続けた。
「ある日、街の幹部が避妊を進めようとその村へ行った。コンドームの箱を持って、そして彼らに使い方を教えた……」

白洛因は顧海の話を聞き続け、目を開かなかった。
前に車が来たので、顧海は急いで停車した。

顧海はギアを入れる機会を待ちながら、ゆっくりとハンドルブレーキを引き上げ始め、しっかり締めたあと手を離した。

「その後、2年経ってその幹部が視察のために村へ行くと、まだ出生率が高いことが分かった。」

車が止まると、突然前方の交差点に物流配送トラックが出てきて、車の正面へと向かってきた。

「なんでか分かるか?」
顧海は額から冷たい汗が流れた。

白洛因か首を横に振った。
「なんでだ?」

「男は幹部に言った。あなたの話を聞いてから、毎日しっかりつけていたが、つけているとおしっこ出来ないから、先の方を切ったんだ。」

白洛因は大声で笑った。

同時に、目の前を人が渡ろうとして、目の前のトラックが急ブレーキを踏んだ。顧海がハンドルを切るには既に遅すぎる。

「結局、なんで目を閉じて聞かなきゃいけなかったんだ?」

白洛因が目を開けようとすると、突然何かにぶつかったような感覚がした。空が一瞬にして回転し、鼓膜が痛み、重いものが体を押して呼吸が出来ない。

目を開けると顧海の顔が目の前にあり滴る血が瞳に鮮明に写った。

白洛因の顔は一瞬で青ざめ、顧海の顔を抱えて叫んだが顧海からの反応はない。

白洛因は顧海の顔から目を逸らし、目の前の光景を見て心臓が止まった。

2つの車のフロントが曲がり、銅板が顧海の背中に刺さっている。割れたフロントガラスが顧海の肩、頭、他にも色んな場所を傷つけていた。しかし自分だけが安全で、手の甲を擦りむいただけだ。助手席は崩れているがそこまで深刻な訳では無い。顧海が自分を守っていなければ、彼はここまで傷ついていなかっただろう。

公用車で、しかも繁華街で何かが起こった。それに前のトラック運転手は避けようとはしなかった。
車から降りて背後の状況を確認すると、急いで120と携帯で打った。(日本:119)

車が爆発するのではと心配して運転手はすぐに白洛因を救出しようとしたが、彼が顧海と白洛因を救出しようとした時、顧海の背中に銅板が刺さっているのが分かった。運転手はすぐにトランクを開け道具を持ってくると、目の前の光景に驚いた。

白洛因はその手で顧海の背中に刺さっている銅板を壊していた。5本の指は血で濡れていて、2本の指の爪は剥がれている。車から出来るだけ早く顧海を救出する為に、白洛因は痛みを気にする余裕もなかった。



通行止めされている道路の真ん中で、白洛因は顧海を支えながら救急車を待っていた。顧海の背中はまだ出血していて、傷口を抑えている白洛因の手は赤く染まっている。血は指をたどって白洛因のズボンへ垂れると、白洛因の心は痛み、涙を流していた。

「顧海、顧海……」

白洛因の声が掠れる程叫んでも、顧海から反応はなかった。

隣にいる運転手は注意深く声をかけた。
「彼を地面に寝かせて。そのままじゃ危険だ。」

白洛因はその言葉を聞かずに、顧海をぐっと強く抱きしめた。その姿を見れば、誰ももう声をかけられない。

こんなにも恐怖と自分の無力さを感じる瞬間は今までなかった。見回しても、周りにいるのは奇妙な顔をしている人達だけだ。

誰か俺たちを救ってくれないか?
誰かこいつを目覚めさせてくれないか?
誰かこいつの血を止めてくれないか?
誰かこんな時間を止めてくれよ。
そうずっと、ずっと祈っていた……

「病院から連絡が来た。混んでいて救急車が立ち往生してると。」

白洛因は雷に襲われたような感覚に陥る。彼は顧海を見て心が壊された。

「どっちから来るんですか?」

「東から……えっ!なにをしてるの!?」

運転手の質問と傍観者の声は、白洛因には聞こえていなかった。東西道路は長い間閉鎖されている。彼は顧海を背負って道を急いだ。停車させられている車の右側を乱暴に走った。もうすべて、血も涙も捨てている。

顧海、大丈夫だ!
俺たちは辛い日々を生き抜いて来た。
俺たちは全てに裏切らても、辛さに耐えてた。
耐えられないことだって受け止めてきた。
目を開けて見てみろよ。幸せへの道を進んでるだろ!

大海、大海……
こんなに叫んでるのに聞いてないのか?
答えろ、答えろよ!
あの車はまだ買ってすぐだろ。
まだ見てない景色も沢山あるだろ。
旅行の心配はするな、二度と美しい景色を見逃すことはもう無い。

顧海の頭は重く白洛因の肩に垂れ、走っている間、何度も白洛因の頬に擦り付けられた。顧海の体温は呼吸数と共にゆっくりと低下して行き、白洛因は涙を流した。力を失ったはずの足はスピードアップして行く……

大海、お前の体が冷たくなったらダメだろ。
手足が冷たい俺を暖めないといけないんだろ?

白洛因の足が意識を失うと、数人の医療スタッフが駆け寄ってきて、急いで顧海を背負って救急車に乗せた。

白洛因がドアで倒れると、淡い顔の頬を大きな汗玉が流れた。医者の急いだ足音と車内の頻繁に鳴る機械音だけを聞いて、白洛因の体はどうしようも無いほど震えた……

この時、彼は突然理解した。想像上では顧海はいつだって死ぬわけがなかった。彼は勇気と大胆不敵な行動で構成されている。顧威霆の前で発言したのは、顧海の死を恐れていなかった訳ではなく顧海が死なないと思っていたからだった。

白洛因の頭の中で顧海は病気になることすらなく、いつだって健康だから思いやる必要なんてない。彼はいつも自分の面倒を見ていた。病気になった時、怪我をした時、彼は走り回っていた。夜中には手足を暖めてくれた。料理をしてくれた。洗濯も、買い物も……

いつだってめげることの無い精神を持っていて、彼は自分と一緒に遅くまで起きることはなく、働いている時間も、休む時間も自分よりも長かった……

顧海の腕に触れても彼が起きなかった時、白洛因の中にある顧海の姿は壊された。

彼は神ではなく、彼は傷つき、弱点だって晒して目を覚まさない。

白洛因は顧海の死を恐れていた。彼が生き残ることが出来るのなら、自分の人生を引き換えにするのだって怖くない。

渋滞は緩むことなく、医療スタッフが困っていると、目の前にヘリが現れた。糸で吊るされていた顧海の死を、それが奪い取った。



緊急治療室のライトはずっと強く光っている。白洛因はずっと涙を流していて、顧洋が急いで病院に着いた時、彼の目の前に立つ乾いた血のついた男はまるで生きていない様だった。


どれくらい経ったか分からなくなるほど時間が経つと医者が出てきた。
「一時的に危険な状態で無くなりましたが、集中治療室に移しました。」

白洛因の紫色の唇は動いたが、音はなにも出なかった。

振り返ると、顧洋が彼の後ろに立っていた。

「俺を殺したかったんですか?」

顧洋の声は急いでいるようでは無かったが、静かな廊下に重く響いた。

「お前は危険すぎる。お前が顧海のそばにいれば、あいつは滅ぶ。」

「いい印象を何度も与えた癖に、結局は警戒して欲しかったんですか?それか……俺の気持ちを消すために動いたんですか。良心だけではどうにもならないと、事前に防ぐ為に?」

顧洋はなにも答えなかった。

しばらくして、白洛因が口を開いた。
「あいつから姿を消す前に、こんなかっこいい髪型にしてくれてありがとうございました。」

顧洋の瞳に暗闇が押し寄せた。

白洛因が顧洋の横を歩いた時、立ち止まった。

「顧海の目が覚めて俺の事を聞いたら、死んだと答えてください。」

顧洋の心臓が痛み、振り向いて話そうとすると、廊下の暗闇へと白洛因の影が消えていた。

俺が示した良心は全て本物だった。
けれど、すまない。
最愛の弟のためなんだ。


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白洛因は初めてスーパーへ行き、野菜と肉を買って帰った。家へ帰るとまずシチューを作った。夜まで忙しく作っていると、最後の一品が出来た時には最初に作った料理はもう冷めていた。

白洛因は静かにテーブルの前に立ち料理を見つめた。そしてここに確かな永遠を残した。

夜中、白洛因は橋の上に立って微かに叫んだ。
「顧海、愛してる……顧海、愛してる!!!顧海、愛してる!!!……」

何度も何度も、冷たい石の上に跪くまで続けた。

顧海、俺は臆病なんだ。
1人でいるのが怖くて、旅行も怖くて、愛する人を傷つけるのが怖いんだ……
でも、お前に出会ってから、俺は強くなった。

だから、お前は俺の為に生きろ!