第28話 犬の餌

顧海は朝早く会社へ行き、12時に家へ戻ると白洛因はまだ眠っていた。朝に作った白洛因の為の朝食も家を出て行った時のままで、顧海はそれを捨てると弁当を作り始めた。
寝室へ行って白洛因を起こそうとしたが、あまりにもぐっすり眠っているその幼い顔を見つめていれば、顧海も隣で眠ってしまいたくなる。10分ほど見つめていたが、声をかけることすら出来なかった。

しかし会社に戻らなければならない時間になってしまい、白洛因へメモを残すと、顧海は泣く泣く玄関の鍵を閉めて部屋を出た。

顧海がちょうど去った時、顧洋が帰ってきた。しかし今夜には香港行きの飛行機に乗らなければならなかったため、顧海を一目見ようと向かったのがすれ違ってしまった。その前に顧洋は顧海を探しに会社まで行ったが、顧海は家に帰っていて、顧洋が家に着いた時には顧海は会社に戻っていた。

顧洋はどこにいるのか連絡をしようとしたが、待っていれば会えるだろうと思い連絡するのをやめた。

顧海の玄関の鍵が閉まっていたので顧洋はドアの前に立ち、入るか入らないか迷っていた。顧洋は顧海に鍵を渡されていたので、この家に入ることが出来るが、本人がいないのに家に入ったところで出来ることなど何も無い。

帰ろうとした所で、顧洋の足が止まった。

中で誰かが動いている音がする。

顧洋は鍵を開けて、部屋の中へ入った。



食べ物の香りでいっぱいの部屋の、コーヒーテーブルは貼ってあるメモを拾った。

"ご飯は保温弁当箱に入れてある。仕事が終わったら帰ってくるが、会いたくなったら会社まで来てもいいぞ。"

ー馬鹿以外にも人がいるようだな。

その通りで、彼の弟は人生の第二の春を過ごしていた。



閉まっている寝室のドアを開け、顧洋はゆっくりと足音を立てないように部屋へ入った。ベッドの中には蚕のように毛布に包まり、頭の半分だけを覗かせる誰かが一人寝ている。部屋はほのかに"あの"香りがして、それは男であれば誰だってわかってしまう。

ベッドで眠っているのが白洛因だと気づいた時、顧洋は何故か突然不快に思った。

この不快感は8年前に彼を見た時のものとは完全に異なり、その時は心の底からの拒絶だったが、今は純粋なぎこちなさから来るものだった。
顧洋は寝室のドアの前に立った時、見たくない光景が広がっているのではと躊躇したが、それでも彼の全てを見たい好奇心には勝てなかった。

白洛因は眠りから覚め、近くにはまだ顧海がいると思っていた。実際、白洛因は顧海が彼を見つめていた時も起きてはいたが、眠気に勝てず目を閉じたままにしていただけだった。

顧洋は眠る白洛因に背を向けてベッドに座って、自分でも理解できない不安を紛らわすために、静かにタバコを吸っていた。

白洛因はベッドから足を出すと、ベッドを押している顧洋の手に乗せた。顧洋が驚いて固まっている内に手の甲をつま先で抓ると、そのままねじった。顧洋は咥えていたタバコを噛んで、白洛因の足首を掴むのを耐えた。彼に足をすぐひっこめて欲しく無いのだ。

昔の顧洋であれば、誰かが煽ってきたり、もしくは彼の手に誰かの足が乗っかれば、その足が真っ直ぐなままの保証はない。しかし今日の顧洋は怒っているどころか、手の甲に出来た痣をみて口角を上げていた。

瞼の裏に、あの日ヘリコプターで迎えに行った時の白洛因の驚いた顔が映っていた。

8年が過ぎ去ったが、やはり顧洋が考えていた通り、白洛因が死ななければ顧海はおかしくなってしまう。



顧洋はキッチンに足を踏み入れると、顧海が一つ一つ白洛因のために丁寧に作った料理を全て食べた。口元を拭くと、なんてことない顔で顧海の家を後にした。



ドアが閉じた音が鳴ると、やっと白洛因が瞼を上げた。

出て行ったのか?声もかけずに?

体を起こして時計を見れば、もう昼の2時だった。あと2日で休暇は終わってしまうので、早く実家に帰り、家族と過ごさなければならない。


白洛因はシャワーを浴び終えると、嬉しそうにキッチンへ向かった。顧洋がそれを食べていた時、美味しそうな香りがしたのでてっきり顧海が一人で食べていると思っていたのだ。
鼻歌でも歌い出しそうな勢いで弁当箱を開けると、中身は空っぽだった。隣のテーブルには空の皿だけが置いてあり、スープもない。


顧海のクソ野郎!
手の甲を捻っただけなのにこんな仕打ち酷すぎるだろ!?
食べ物を残さないだなんてそんな……!!



家に帰ろうとしたが渋滞にハマってしまい、思っていたよりも時間がかかってしまったが、パトロール中の杨猛を見つけて、白洛因はクラクションを鳴らした。

パトカーを停めようだなんて度胸のあるやつはどこのどいつだ?

杨猛が車のドアから顔を出すと、"軍"の文字が入ったナンバープレートを見て体が凍った。しかしフロントガラスに映る勇ましい顔を見て、杨猛は安心して肩の力を抜いた。

白洛因は車から降りると、杨猛の車の窓に寄りかかった。

「パトロール中か?」

「携帯電話を探してるんだ!」

「警察官ってのはスマホを失くしても探してくれるのか?」

「違う!!……僕のスマホが無くなったんだ。」

「なんで失くしたんだ?」

白洛因がぎこちなく笑うのを我慢してそう言えば、杨猛はハンドルに体を預けながら話した。

「絶対に他の人には言うなよ?……泥棒を探してたんだけど罠だったんだ。それで泥棒を捕まえようとしてたら別の泥棒にスマホを奪われたんだ。絶対あいつらグルだよ……」

「………」

「そうだ、どこ行くの?」

「実家に帰るんだよ!渋滞で動けなかったから、顔を見せに来たんだ。」

それを聞くと杨猛はハンドルを叩いて笑顔を見せた。

「あっ僕もう行かないと!因子、また後でね!あんまり車停めてると罰金になっちゃうから早く動かすんだよ!絶対あの交差点に犯人はいるんだ!!」

「わかったよ、ほら行け。」

「時間があったら会おうね!」

白洛因は近くの携帯ショップへ行くと、最新機種を買って警察署へと届けた。


白洛因が顧海の家へ戻ってきた時には空は暗く、顧海は夕食を保温庫へ入れると、マンションホールまで出て白洛因を待った。

しばらくすると、白洛因が車から降りてきて、心配そうな顔で顧海に尋ねた。

「ご飯は?」

「もう作ったよ。保温庫に入れてある。」

白洛因は冷たく鼻を鳴らした。

「俺に謝らないといけないことがあるんじゃないのか?」

「どういう意味だ?俺だってお前を待って食べてないぞ!」

白洛因は未だ疑いの目で顧海を睨んでいたが、彼は何を言われているのかさっぱり分からなかった。

顧海がテーブルに料理を並べると、途端に白洛因が餌にありつけなかった狼のように食らいついた。邹叔母さんは家で食べていきなさいと言ったが、白洛因は顧海の作ったご飯が食べたかったため、外食の予定があると断っていた。しかも昼は食べれていなかったため、息付く間もなく一気にかき込んだ。

顧海は白洛因を見て目を見開き、恐る恐る尋ねた。

「午後何してたんだ?昼飯食べただろ?」

「俺が何を食べたって?一日中なんも食ってねぇよ!」

顧海は笑って冗談を言った。
「じゃあ俺が作っておいた弁当は犬にでも食わせたのか?」

白洛因はそれを聞いてさらに怒った。

「あぁそうだよ!犬に食わせてやったさ!」

その後、2人の箸が止まった。

白洛因は突然何かに気づき、顧海の手を引っ張るとそれを裏返して、何も無いのを確認するともう一方の手を引っ張ってまた裏返した。

なんでアザが無いんだ!?

顧海は不思議そうに白洛因を見た。

「コーヒーテーブルのメモ、見てなかったのか?」

「メモ?」

白洛因は立ち上がってリビングに行き、コーヒーテーブルを見るとメモが置いてある。それを手に取り文字を読んだ瞬間、白洛因の顔が変わった。


顧海はバルコニーに行き、顧洋に電話をかけた。

「今日の昼来たか?」

「あぁ。」
顧洋は軽く答えた。
「弁当、美味しかったよ。」

「……寝室に入ったのか?」

「あぁもうフライトの時間だ。じゃあな。」

顧海はスマホを握りしめながら家へと入った。


5分後、全てが明らかになると、さっきまで温かかった部屋を一気に雲が覆った。


「何回お前は俺たちを間違えれば気が済むんだ?」

顧海は白洛因を叱った。

「双子ならまだ良いにしても、同じ母親から生まれた訳でもないんだ。そんなに俺の認識がお前の中で薄いのか?」

白洛因は黙々とご飯を食べていたが、冷たい声で答えた。
「寝てたから誰が来てたのか分からなかったんだよ……。それにずっと座ってて話もしなかったし、俺も一度も目を開けなかったから……」

「言い訳はそれだけか?俺はお前が女になったって一目でお前だって分かるけどな!」

白洛因は飲み込もうとしていたものが喉に詰まり、顧海を睨みつけると地団駄を踏んだ。

「やっと安心して眠れる場所ができたって言うのにそこでも警戒しろって言うのか!?」

顧海は固まって何も話せなかった。

白洛因が立ち去ろうとすると、顧海は腕を引いて席へ戻した。

「食ってけよ。」

「もういらない!」

顧海はパンを掴んで無理やり白洛因の口に詰めた。

白洛因は今すぐ吐き出してやりたかったが、あまりにも美味しそうな香りがするものだから噛み付かずにはいられなかった。1つ目を食べ終えればもう1つ食べたくなって、違う種類のパンを手に取り口に運びながらも、文句を言うのは忘れない。

「本当に分からなかったんだ。」

顧海は白洛因の口元についていたソースを指で拭いながら、柔らかい声で話しかけた。

「なにかされるとは思わなかったのか?」

「じゃあなんであいつに鍵を渡したんだ?」

顧海は固まった。

「俺じゃねぇよ。父さんにだって渡してないんだ。」

白洛因の顔が変わり耳を塞いだ。

「あー!聞こえないなぁ!」