第164話 大会準備

 

「おい、なにしてるんだ?」

 

尤其はしゃがみこんで杨猛を見た。

杨猛は涙を適当に手で拭い、ぎゅっと身を守るように体育座りをした。尤其に背を向けて「今日は気分が悪いから、僕にちょっかいかけないで」と言った。

 

尤其は杨猛の背中を膝で押して、少し挑発的な態度で言った。

「もしからかったらどうなるんだ?」

杨猛はしっぽを踏まれた猫の様に見え、ぐるぐる回りながら足を抱きしめ大きな声で叫んだ。

 

「助けて!助けて!僕の足が撃たれた!」

杨猛の力は弱かったが、声は力強く、それは彼のおばあちゃんの遺伝かもしれない。彼がこう叫んだ時、校庭中には杨猛の声が響き渡り、30m先の教室にいても耳のいい生徒であれば聞こえていただろう。

 

尤其はショックを受けて、杨猛の頭を叩き、口を塞いだ。

「黙れ!」

杨猛は何も言わなかったが、一分ほど経つと尤其の手が濡れていくのを感じた。尤其が手を下ろすと、杨猛はまた泣いているようで、地面を何度も殴っていた。

 

「…なんで泣いてるんだ?」

 

「全然頑張れなかった!」

 

「けど、お前には関係ないだろ!」

 

杨猛は二回すすり泣いたあと、空を見上げて悲しそうな顔をした。

 

「どうせ言ったって僕の苦しみはお前には理解できないだろ…ほら、早くどっか行って…一人で泣かせてよ…」

 

「理解できないこと?

」尤其は地面にあぐらをかきながら、さりげなく聞いた。

「スポーツ大会で5000走らなきゃ行けないことか?」

 

「なんで知ってるの…?」

 

杨猛は草を足で遊びながら聞いた。

尤其は杨猛を冷たい目で見て言った。

 

「お前が教えてくれたんだろ?」

 

「あぁ…そっか、言ったね」

 

杨猛は再び泣き出し、その泣き声は歌声のように聞こえたので、やはり歌手の甥っ子なだけあるな、と思った。

杨猛が肩を震わせてるのを見て、優しく声をかけた。

 

「なんでそんなに泣いてるんだ。恥ずかしくないのか?」

 

杨猛は胸と足を叩いた。

「なんで勝手に泣いちゃいけないの?お父さんの許可が必要なの?僕の祖先たちの許可も?」

 

尤其は何も言えなかった。

杨猛はまた泣き出して「ねぇねぇ、僕はどうすればいいの?」と尤其を見たが、尤其は診断できる能力はなく、ただのアイドルだ!

 

「ここで泣くな。あっちへ行こう。」

 

杨猛の泣き声は突然止まって、尤其に聞いた。


「こんな時間に何しに来たの?」

 

尤其は自分のプライドが崩れるんじゃないかと焦って嘘をついた。

 

「運動しに来た」

 

尤其が五周目を走っていると、泣いてる声が聞こえて、そしたら杨猛がいた。

 

「どうして家に帰らないんだ?真っ暗だぞ?」

 

杨猛はため息をついて、「あと二周なんだ…」と言った。

 

「じゃあ早く走ろう」

 

「走りたくない!」

 

尤其はしゃがみこんで杨猛を見ると、泣き止んでいたがぼーっと校庭のトラックを見つめていた。頭にはまだ草が付いていて、まるで虐められていたみたいだった。

尤其は笑ったが、馬鹿にする気力も残っていなかった。

 

「どうしたんだ?」

 

杨猛は小さい弱そうな声で言った。

「今日、白洛因と一緒に走ったんだけど、白洛因も5000の選手だったんだ…白洛因はどんどん僕を抜かして行って、みんな白洛因を見てた…」

 

「白洛因と走ったのか?」

 

尤其は何をいえばいいのか分からなかった。

 

「顧海はいなかったのか?」

 

「顧海もいたよ…顧海はたくさんの荷物を持ちながら僕よりも早く走った…」

 

話しているうちに杨猛の口角は上がっていった。

 

「もういい、やめてくれ。お前は僕に泣くなって言ったけど、確かに白洛因と同じレベルでもないのに泣いちゃダメだよな。勝てるわけもないのに泣いても意味が無いよね!」

 

杨猛の上がっていた口角は次第に一本の棒のようになった。

 

「行こう。帰らなくっちゃ。」

尤其は杨猛を押して「夜は寒いから風邪をひくぞ。」と言ってティッシュを差し出した。

杨猛は動かなかった。

尤其はじっとしてられなくなって、立ち上がって「ほら、行くぞ」と言ったが、杨猛はまだ動かなかった。

 

尤其は本当に置いていって、10m先で振り返り、怒った顔で杨猛を見た。

 

「なんでそんなに不機嫌なんだ?お前が選ばれたってことはお前に期待されてるんだぞ!そんなに嫌なのか?俺は出来ないことを顧海にちゃんと伝えたさ!お前より俺の方が恥ずかしいけど俺はちゃんと走るぞ!」

 

これを聞いて、杨猛の暗かった目は途端に輝き出した。

 

「本当に?お前も出るの?なにに?」

 

尤其は嫌そうに答えた。

やり投げと400mハードル」

 

「400mハードル!?あはは!!」

杨猛の気分はすぐに上がって急いで立ち上がり、尤其の肩を叩いて元気に「そうなのか!」と馬鹿にして言った。

 

見たか!?俺は彼を慰めたと言うのにこの彼の姿を!

 

杨猛は笑いながら帰っていった。

尤其は杨猛の背中を睨みつけながら同情した。


数日後、尤其の思いやりのあった行動が役に立たなかったのは本当で、尤其と杨猛が話した次の日、杨猛は校内中にその事を言って広めた。三日以内に全校生徒と先生は尤其がスポーツ大会に出場することをしり、しかもどの競技で誰と戦うのかまで誰もが知っていた。

 

尤其は嵐の先端に立たされた。

 

今、棄権することは逃げることと同じだが、尤其のレベルでは棄権することよりも出場することの方が恥ずかしいことだろう。

 

尤其に逃げ場はない。ひたすらに運動を重ねる他ない。

 

「尤其、やり投げの練習してるの?」

杨猛は歌いながら尤其の方に歩いてきた。

尤其は槍の先で杨猛を指し、「ここに来るな!殺すぞ!」と言った。

 

杨猛は時間さえあれば運動をしに校庭へ出て、尤其が急に焦りだしたのを笑っていた。尤其は前よりもマシになったものの、緊張しだして急いで練習を始めた。

 

二人はいつも一緒に運動をし、尤其も杨猛が運動できないことは、さほど大きな問題ではなかった。時折指示を出し、杨猛が飽きてきたら運動するように促した。

 

杨猛は少し離れたところから、尤其が走り出すところから腕力を使って全力で槍を投げるところまでを見続けた。一連の動作は全て一度に行われ、フォームは基本的であり、かなり遠くまで飛んだようだった。

 

「よし!」

杨猛は大声で叫び、拍手喝采した。

 

「なにがそんなにいいんだ。」

尤其は落ち着いた顔で槍を手に取って「槍のしっぽが地面に落ちたのは、どんだけ飛ばそうが記録にはならない。」と答えた。

 

「えぇ……。」

 

フォームは正しいはずなのに、絶対に逆さまに刺さってしまうことが少し不安になった。
杨猛は「槍を逆さにして投げれば、槍の先がちゃんと刺さるんじゃない?」と提案した。

尤其は黙った。

 

ハードルを体育館から借りたくないから、二人は一緒にハードル練習をした。一人がハードルになり、もう一人が走者になる。杨猛は小さくて、尤其は足が長いから、余裕で飛んでいたが、杨猛はただハードルになるだけではなく、いつも尤其に奇襲を仕掛けた。

杨猛の番。

 

「準備はいい?」

杨猛は叫んだ。

 

尤其が振り返った時、杨猛に大丈夫だと伝え、それから、意図的に尤其の頭を無理やり低く押した。

 

杨猛は走り始め、片方の足を上げ、もう片方の足が続いて着地に成功した。杨猛がしっかり着地出来たのはこれが初めてだった。

 

杨猛は本当に自分が跳べたとは信じられなくて、尤其の背中を興奮しながら叩いたが、尤其は黙ったままだった。

 

「どうしてまだ起きないの?」

杨猛は疑問に思った。

 

尤其がやっと口を開いたとき、「お前、俺の髪踏んだだろ」と言った。

 

 

 

夜になり、お風呂には二人の男がいた。

 

白洛因は頭を浴槽の縁に寄りかからせて、長い溜息をつき、運動の疲れを吐き出した。白洛因は片方の足の感覚があまりなく、持ち上げてみると少し痛かったがそれほど重大ではなかった。

 

顧海は白洛因の反対側に座り、白洛因が片足を持ち上げると、白洛因の足の間を見て、またもう片っぽが持ち上がっても、同じように足の間を見た。

 

「長い時間走ったから、足が痛むのか?」と顧海はそっと尋ねた。

 

白洛因はつま先を曲げながら「少し」と答えた。

 

「俺がマッサージしてやるよ」

 

顧海は指先を使って白洛因の足をマッサージすると、白洛因は心地良さそうに目を閉じた。その後なにかおかしい気がして白洛因が目を開けると、白洛因のつま先は顧海にキスされていた。

 

開いていた足で水しぶきを上げ、その水しぶきが顧海の顔を殴った。

 

顧海は白洛因と同じ向きに座り直し、狭いバスタブだから後ろから抱きしめながら、愛しさのこもる表情で白洛因に触れた。

 

「明日、大会か。」

 

顧海は白洛因に向かって言った訳ではなく、独り言のようなものだった。

 

白洛因がため息をついても、顧海は再び口を開いた。

 

「今日はゆっくり休もう」

 

白洛因は顧海の声に悲しみが混ざってるのを感じて、さっきよりも大きなため息をついた。

 

顧海は当分黙っていたが、突然目が輝き出した。

 

「お前が出るのって明日であってるよな?」

 

顧海は白洛因の足に手を伸ばしたが、その姿はまるで母親の母乳を求める赤子のようだった。

 

しかし、その手は白洛因に捉えられてしまった。

 

「お前も一緒だろ」

 

顧海は白洛因の目を見つめたが、逃げられてしまった。

寝る前、白洛因は顧海の足を蹴った。

 

「明日頑張れよ。」

 

顧海は微笑んで、「ちょっとだけ俺が頑張れるようにしてくれよ」と言った。

 

白洛因が顧海を横目で見ると、顧海は自分の左頬を指さしていた。

 

白洛因は嫌がったが、しょうがなそうにキスをした。

 

「こっちも」

 

次に顧海は自分の右頬を指さした。

 

顧海が見たかった「もう良いだろ?」とでも言いたげな顔に身を乗り出してキスをした。

 

顧海が白洛因の口にキスをしてやっと、満足して寝ることが出来た。